Greeting (ごあいさつ)

Greetings  2013年12月

2年前にイタリアのシチリア島を旅行した。イタリアは初めてである。パレルモ空港に到着してレンタカーを借り、走り出した瞬間、私は日本に帰りたくなった。周りの車のモラルのない運転。少しでも迷った動きをすると「ビビー」とクラクションを鳴らし、車線もない広い道路を右から左から猛スピードで追い越す。こんな感じで無事旅行ができるのだろうかと不安になったのだ。道に迷いながらやっとの思いでホテル周辺に着き、駐車すると「車見ていてあげるから2ユーロよこせ」と言い寄ってくる乞食のような男・・・。なんとか早く予定を消化して帰国したい・・・。初日はこんな感じだった。しかし1日、2日と観光しているうちに世界遺産をはじめとする歴史的地域、どこで食べてもはずれのないおいしい食事、などの魅力にはまり、すっかり楽しくなってしまった。帰国の時になりこの地を離れがたい気持ちになり寂しく恋しい気持ちでなんとか成田行きの飛行機に乗った。

このときは憶えていったイタリア語はあいさつと「お会計お願いします」程度だったのだが、帰国後なんとなくイタリア語学習のテレビを見たりするようになり、テキストを買ったりしているうちに継続して学習するようになった。イタリアの旅行番組も見るようになった。意識すると旅行番組は結構たくさん放送している。毎日新聞をチェックし放送予定の番組を片っ端から録画し、少しずつ見ている。

南イタリア方面の旅行番組を見ると必ずと言っていいほど出てくる「マリアさん」というおばさんがいる。プーリア州のアルベロベッロという地域に在住の方で、ここは「トゥルッリ」というとんがり屋根のかわいい住居が特徴的な地域で、世界遺産にも認定されており、マリアおばさんはこの住居群の一角で土産物屋を営んでいるらしい。「フィスケット」という吹くと幸運を呼ぶと言われているイタリアの伝統的な笛と、手作りのテーブルクロスなどのリネン類を主に売っており、この独特の織物は都内の三越でも取り扱っている。マリアおばさんは何度か日本にも招待されてきたことがあり、「日本人が大好き、日本からの観光客がきたら親切にしたい」と番組で言っていた。さらにマリアおばさんは、Eテレの「イタリア語講座」にも出演していた。(2013年4月~9月)アルヴィン君というイタリア人の男の子がマリアさんの店舗兼、住居を訪れ、その室内の石灰質の石でできた壁を、「Posso toccare?」(触ってみてもいいですか?)と尋ね、マリアおばさんは、「Si, prego.」(どうぞ!)という会話練習のシーンがある。

今年9月、私は再びイタリアを訪れた。今度は、ローマから南方のバーリという都市まで国内線で移動し、そこから長靴のかかとをだいたい1周するコースで、到着1日目はあのマリアおばさんのいるアルベロベッロである。2年前よりはイタリア語は話せるようになってるとは思うが、どのくらい通じるだろうか・・・?飛行機の中でも、英語で話す人が多い中、私は頑張ってイタリア語で話すよう心がけた。

バーリ到着後、レンタカーに乗るも、間違えて乗る必要のない高速道路に乗ってしまいどういうわけかゲートで出られなかったり、道がよくわからなかったりと恐ろしい思いをする。2年前もそうだったが、この初日に感じる「もういや~」というこの感情はまさに「カルチャーショック」というものだと、いま文章を書きながら改めて認識した。あたりが暗くなってしまうと、ますますまわりの見通しも悪くなり、時々停車したり、Uターンしながらもなんとかアルベロベッロの町に入った。時間は夜9時を過ぎている。見知らぬ異国の土地ゆえ、地図があっても自分がどこにいるのかわからず心もとない。しかし奇跡的にホテルを探し当てられ、チェックインを済ませることができた。遅い夕食をしようとさっそくトゥルッリ地域を散策する。ホテルから歩いていける距離である。レストランを探し、南イタリア地方名物のオレッキエッテという耳たぶの形をしたパスタを食べたあと、土産物屋がある通りを歩いてみた。もうこの時間なので大体の店はしまっている。私は入り口に日本語で「どうぞお気軽にお入りください」と書いてある店を覗いた。店はもうしまっていたが、中で電話の応対をしているおばさんが見えた。それはマリアおばさんのように見えた。私は連れに向かって「マリアおばさんだ!!」と叫んだ。連れは「違うんじゃない?」と言って笑ったが、明日おばさんに会えることを夢見てホテルに帰った。

翌日、朝食を済ませ早い時間から散策に出かけた。昨日の土産物屋のある通りに入ると、昨夜日本語の看板があった店の前にマリアおばさんがいた。やっぱり昨夜見たのはおばさんだったのだ。おばさんも私を見ると「日本人かなぁ・・」というような顔をした。私は思い切って「マリアさんですか?」と聞いてみた。もちろん習いたてのイタリア語で・・・するとその瞬間「そうよ、そうよ、イタリア語が話せるのね!どうぞ、どうぞ中に入って~」と熱烈歓迎を受けた。コーヒーとお菓子でもてなしてくれ、トゥルッリの中を見せてくれた。それはテレビで見たとおりのシーンだった。寝室まで見せてくれ、日本のテレビ番組に出たときの写真を次々と見せてくれた。「日本には5回行ったことがあるのよ~。白川郷にも連れて行ってもらったのよ~」と嬉しそうに話す。確かに白川郷の家並みとここのトゥルッリには共通点もあるような気がする。調子にのった私は、「イタリア語講座」の会話シーンを一人芝居で再現した。「Posso toccare?」「Si , prego!!」と言うとマリアさんは「ああそれNHKね。アレも見たのね~」と言ってくれた。その後、屋上からトゥルッリの町並みがきれいに見えるといって案内してくれ、お店も見て写真を撮ってもらい。「あなたのことを忘れません」と言ってマリアさんの店をあとにした。散策を続けながらマリアさんとの会話を反芻(復習)し、(あれ、もしかして「私を忘れないで・・」って言ってしまったかもしれない。)と歩きながら文法ミスに気付いた・・・。

その後、アルベルベッロにもう一泊し、続いてサレント半島を南下し「南のフィレンツェ」と称されるバロック建築様式の町並みが特徴の「レッチェ」、イタリア最東端の城壁に守られ、海に突き出すように広がる町「オートラント」、洞窟住居が世界遺産に登録されている「マテーラ」、最終日は空港のある「バーリ」などの町をめぐった。イタリア語が結構調子よく話せたところと、いまひとつ上手くコミュニケートできなかったところがあったが、始めにマリアおばさんのところである程度「なんとか通じる」と手ごたえは感じていたので、実力以上の会話ができたような気もした。帰りはやはり寂しくなり、同じコースをもう一回たどってもいい、と思えるくらい南イタリアは素晴らしかった。

実はここからが本題である。旅行前に10月に行われる「イタリア語検定」を申し込んでいた。まずは5級である。秋は「芸術の秋」なので仕事においてはいろいろなイベントが重なり、練習もしなければならなかったがその合間をぬって、いや、もしかしたら勉強の合間に練習している状態だったかもしれない。とにかく帰国後はますます熱心に勉強した。そして試験当日を迎えた。会場は青山学院大学である。遅刻して受験できなかった~ということがないよう、5時起きで早めの電車に乗った。会場に着くと、銀杏の木がたくさんの銀杏の実を落としている。宇都宮の「大いちょう」もそうだが、とにかく「クサい!」そしてつぶれたイチョウの実をふんずけて滑りそうになる。(試験前なのに「すべる」なんて縁起が悪いなぁ・・)表示に従い学内の廊下を歩いていると、早い時間にも関わらずちらちらと受験生らしき人たちがいる。試験教室のドアを開けると、受験番号の貼ってない一番後ろの席で、一人のおばさんが必死で勉強していた。「まいにちイタリア語」というテキストを持っている。「ああ、アレがラジオでやっている講座だな」私は今までの学習においては「テレビでイタリア語」しか見てこなかった。実は試験の2週間ほど前、リスニング(イタリア語ではComprensione Auditivaという)の練習問題に挑戦した際、あまりにも聴きとれなくて愕然としたのだ。今日もどんな問題が出るのか、それを聞き取ることができるのか不安である。私もこれからはラジオ講座も聞かねば・・・。と思った。おばさんはときどき「ああっ、間違えた」などと言いながら勉強している。(ヘンなおばさんだな)そのうち他の受験生もぞくぞくと入ってきた。私は受験するのは若者が大多数だろうと思っていた。芸大、音大などではイタリア語の授業があるだろうし、イタリアに留学しようとする学生もいるだろうし、が、全員揃ったところで、私のいる後ろの席から見渡せば、圧倒的に私よりも年上と思しき方が多い。先程の怪しいおばさんはなんと私の前に座った。白髪交じりのぼさぼさ頭である。私のひとつ前の受験番号だったのだ。予想以上の熟年層の充実を目の当たりにして、日本人は勤勉だなと改めて思った。

試験にあたっての注意事項の確認のあと、いよいよ試験開始となった。始めは恐怖のComprensione Auditivaである。イタリア語の会話や問題用紙に書いてあるイラストを描写した文らしきものが次々と読まれていく。恐れていた通り、ほとんど聞き取れない・・・。どこまでがイラストの説明で、どこからが問題を読んでいるのかわからないものもあった。しかし私はマリアおばさんに「あら~イタリア語が話せるのね!」と言われたことや、レストランのお兄さんに「イタリア語上手だね」と言われたことなど、言葉が通じて嬉しかった瞬間を思い出しながらなんとか問題が聞き取れたフリをして、解答用紙を埋めていった。聞き取りが終わって文法の問題へと移る。こちらはいくつがわからない単語があったり、名詞の複数形を問う問題でいくつか迷いもしたが、聞き取りよりはまともに回答できた気がした。80分の試験はあっという間である。試験終了し、休日のがらんとした大学を後にした。しかしこの日は他にもいろいろな検定試験が行われているらしく、社会人らしき人が試験会場の表示がある建物に次々と入っていくのを目にした。大学を後にしたが、ふと気付くと前を歩いているのはあのヘンなおばさんである。どこまでも一緒に行きそうなので、途中にあったスタバに避難した。

2日後、試験の解答がHPで発表されるというので、おそるおそる見てみた。するとあんなに聞き取れないと思っていた聞き取りの問題は以外にも結構正解していた。とても以外だった。自己採点の結果、余裕の合格である。しかし今後はリスニングを中心に勉強せねば、と思った。

さらに一ヵ月後今度はいよいよ合格者の受験番号の発表である。今度は安心してHPを開いた。私のほかの唯一の知人は・・・知人とはいえないが、前に座った怪しいおばさんである。なんと彼女も合格している。変なおばさんも侮れない。

現在の私は3月に行われる4級を受けるかどうか検討中である。お正月休みの勉強の進捗状況によって、出願するかどうか決めるつもりだ。5級の試験から3か月経っているが、ラジオ中心の勉強に切り替えたせいか、リスニング力はややアップした感じがする。

テレビではこの時期「あなたの今年一年を漢字一文字で表すと、なんですか~?」などと質問しているのを、目にする。私はもちろん「伊」だなぁ・・・・。

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南イタリア、アルベロベッロ。晴天の毎日でとても暑かった。マリアおばさんの住居兼、店舗の前で・・・。

頭上の看板に「お気軽にお入りください」と書いてある。

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マリアおばさん宅にて、おばさんが日本に行ったときの写真を見せてもらいながら、つたないイタリア語で必死に会話する。

Greetinngs 2013年10月

今年も残すところあとふた月ほどになってしまった。今頃夏の思い出を記すのは時期はずれだが、忘れないように書いておこう。

Eテレで朝6:25分から放送される「テレビ体操」を見ながら体操するようになって4年ほど経つ。始めはわずか10分の体操なのに「どうしてこんなに疲れるんだ~」とひーひーしていたが、最近はすいすいと元気に体を動かしており、できない日があるといまいちすっきりしないな、と感じるくらいすっかり習慣になっている。

番組は始めに「みんなの体操」というのを5分ほどやり、前後にちょっとした動きをやった後、ラジオ体操で締めくくる、という内容で、週7日のうち3人の体操の先生、5人の体操のお姉さん、3人のピアニストがかわるがわる登場する。みなそれぞれ個性があって楽しい。

この愛すべき番組が、夏の間、全国各地を巡回するということを聞き、さっそくホームページで調べると8月14日茂木町の運動公園で行われるということがわかったので、同じく毎日「テレビ体操」をしている友人と共に行ってみることにした。番組にも出演している体操のN先生と、ピアニストのN氏も来るらしい。2人を生で見られるのも嬉しいことだ。タイムスケジュールを見ると、朝6時から番組の進行の説明と「ラジオ体操の歌」の練習、準備運動などをし、6:25から本番とのこと。どんな運動公園なのか知らないが、地図によると大きくいろいろな運動施設のあるところのようだ。田舎だしそんなに人は集らないのではないかと思った。

当日5時に起床し、顔も洗わず家を出る。友人は体操終了後そのまま仕事に向かうと言うので現地集合の約束をする。あと少しで公園というところまで来て焦った。渋滞している。いままで田舎道をすいすいと走ってきたのにこんな早朝から車と車にはさまれ「駐車できるのだろうか・・・」という不安に駆られる。当初の思惑に反し、人でいっぱいである。小学生、中学生、その家族、じいちゃんばあちゃんなど、みな普段着、ジャージ、などのいでたちで体操する気まんまんという感じだ。エプロンしているおばさんもいる。これなら顔を洗ってなくても恥をかかないだろう。やっと車を止めて外に出ると友人から電話だ。「どこにいるの?」もう着いているらしい。グランドはたくさんの人で埋め尽くされ、友人にも会えないのではないかとさえ思った。しかしなんとか会えたところで、生のN先生の声がした。「みなさ~ん、おはようございま~す」N先生はテレビで見るとおりすっきりスリムで小柄だ。ピアノのN氏はどこにいるのだろう。「グランドピアノがあるよ」友人の言うほうを見ると、ピアノに向かうN氏がなんとか見えた。さすがNHK、電子ピアノに甘んじず、グランドピアノを用意し、生演奏を提供しようとするあたり国営放送の底力を見たような気がした。N先生の指示で軽く準備運動をし、ピアニストN氏の指導で「あた~らし~あさがきた~・・」と歌唱の練習もする。「ここで拍手をしてください」などの放送向けの指示もあり、本番になった。N先生の「今日は1800人ほどの方がいらっしゃってま~す」との声で番組が始まる。「えっ、1800人もいるの?」5人くらいしか来ないと思ったのに・・・。つくづく自分の考えが甘いことを思い知らされた。いつも家の中でやっている体操も屋外でやると気持ちがいい。日中は連日34度、35度の暑い日々が続いているが、早朝は快適である。芝生の上でぴょんぴょん跳ねたり、ぐるぐる体を回したりしているうちに、あっと言う間に本番は終わった。友人は帰りの車が混まないうちにと言ってピューッと去っていった。この後もラジオ体操のワンポイントレッスンのようなものがあるらしいが、私も帰りの渋滞に巻き込まれないようにと駐車場に向かった。ひとりずつお土産を受け取る。友人もちゃんともらって帰っただろうか?帰り道はまだ7時頃だが、もう太陽がぎらぎらしている。しかし気分はさわやかである。また来年も参加したいな、と思い、帰宅した。

正直、夏の間の朝の体操は暑くてだらだらとやっていた。しかし、すっかり秋も深まった今は毎日真面目にやっている。いつまでも続けたい朝の習慣である。

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小さく見えるのが体操のN先生。

Greetings 2013年7月

先日、ピアノの練習をしようと実家へ行くと、母親が一人でいた。父は迎えに来た弟と日光に出かけたとのこと。この日は平日で、弟は通常土日休みなのだが、たまに平日休んで両親を日光にでも連れて行こうと思ったらしく、今朝誘いの電話があり、父親だけが喜んで行ったらしい。弟と同じ勤務先の奥さんも仕事、子供たちは学校で、一人なのだから愛犬の「くーちゃん」と家でのんびりしていればいいのに・・・親孝行だなぁ・・・。私とは格段違って立派な弟である。母も一緒に行けばいいのに、と思い「せっかく連れて行ってもらえるのに、何で行かなかったの?」と聞くと「やることがたくさんあり、急に言われても無理、昨夜のうちに言ってくれないと予定が立たない」と偉そうに言う。そして「これ見てよ。おとーさんはいよいよボケがひどくなってきた」と嘆いている。母親の差し出したものは、お菓子のパッケージである。私が先日某所に行って買ったお土産のお菓子で、表には笑顔のサザエさん、カツオ君、そして波平さんが描いてある。父親はその波平さんを、「これは「マスオさんだ!」と言って聞かないらしく、そのせいで昨夜は激しいけんかになった、と言った。私はあまりのくだらなさに力が抜けそうになったが、父親のアタマが心配になったので、いまいちどパッケージを観察した。確かになぜこの3人が一緒に描かれたのだろう・・という気はする。他の可能性を考えると・・サザエ、カツオ、とくればワカメちゃん・・これなら「ああ、3兄妹(姉も)ね」と納得できる、か。または波平、サザエ、ときたらフネさんも登場させて、老夫婦とその長女、という構図、しかしこれはどうだろう?サザエさん一家の年長者3人が表のパッケージに登場させるのは、中身がお菓子だということにそぐわない気がする。やはりカツオ、ワカメ、タラちゃんの子供3人に出てもらうのが一番良かった気がする・・・。しかし、ワカメちゃんとカツオくんは兄妹だが、タラちゃんはこの2人にとっては甥っ子だしなぁ・・・。そこまで考えるとパッケージの波平さんは帽子をかぶっていることに気付いた。あのつるつる頭と一本しかない毛がまるっきり隠れている。これでは波平さんだとわからなくても仕方ないのではないか・・・。母親にそう言うと「でも波平さんにはひげがあるでしょう。マスオさんにはないよ。」と反撃。「ごもっとも」父親の主張としては、サザエさん、カツオくんときたらあとは「マスオさん」しか考えられないのだ、とのことであったがその心は・・・。とにかく一歩もゆずらぬ父親に母親は「克美が(弟)きたら、決着をつけてもらおう」と言ったそうだ。そして父親を迎えにきた弟はパッケージを見て、静かに「おとうさん、これは波平さんだよ」と告げた。弟は紳士的な男である。止めをさされた父親も紳士である。「そうか・・これは波平さんか・・・」と穏やかに納得し、紳士の2人は日光へ向かったそうな。めでたし、めでたし。私は母親にあまりくだらないことでケンカをせず、ボケたボケたと騒がず、夫婦仲良く暮らすように言った。「でもここにマスオさんと、フネさんがいないんだよね~。何でだろう?」母親はパッケージの後ろを見ながらまだぶつぶつ言っている。よかれと思って買ったお土産でおかしなことになってしまった。私は母親の言葉が聞こえなかったフリをして、ピアノに向かった。

Greetings 2013年3月

夜、演奏を終えて帰宅し、玄関の前で「あれっ、鍵がない・・。」とあわてることが何回かあった。しかしいずれのときも、車の中に落ちていたり、バッグの中の小さなポケットの中にあったりと深刻なことにはならずに済んでいた。そのたびに鍵を閉めたらちゃんとバッグの中にしまうことを意識するように反省はするものの「探せばある」とどこかに甘い考えがあったのだろう。ついに先日「ほんとにどこにもない!!」ということが起こってしまった。

その日は昼間葬儀の演奏をし、夕方レッスン、そして夜はライブというスケジュールで車の中にもいろいろな荷物があった。葬儀ではリクエストもあり、車の助手席には楽譜を引っ張り出したファイルが何冊もあるような状態。そして夜になったらなんだかもう眠くてぼんやりしてしまい、早く帰ってお風呂に入って寝よう~。と思っていたのに一気に眠気も覚めてしまった。楽譜やファイルの間や車の座席の下などを探しても暗くてよく見えないし、あまりがさがさしていると他の住人が不審に思うだろうと、場所を変えて明るいところに移動して探すことに決め、まず友人に連絡した。、もしかすると泊まらせてもらうことになるかも・・と伝え家からまた車で走りだした。途中で、念のため演奏した店に行ってみようと思った。まだ店は開いているだろうか・・赤信号も無視したかもしれない。急いで店にむかうとまだお客さんがいて一緒に私が座っていたところ、ピアノの周辺なども見てくれたが落ちていなかった。店の人にライトを借りて今度は駐車場に行ってみる。ひととおりライトで照らしたがない。駐車場から店まで10分ほど歩くのだがこのルートを今探す気にはなれなかった。私は友人宅に向かった。こんな夜中にはなはだ迷惑な話である。殺気立った私の顔を見て友人は「なんか左目の下がどんよりしてるよ。鼻の下のにきびも巨大化してるね」と笑った。やはり年を取ってくると夜更かしは肌の状態にも悪影響を及ぼすのだと恐ろしくなった。その上鍵がなくて家に入れないというストレス・・・。「はやくかえってお手入れしないきゃ~」と焦る。

明るい室内に入れてもらいバッグと楽譜がごちゃごちゃ入っているかばんをいまいちど探したがない。「もう諦めて今夜は寝ようよ」と言われ、その言葉に従った。お風呂に入らせてもらい、パンツは履き替えず、歯も磨かず、パジャマだけ借りて横になった。もう夜中の2時だ。私は明日は(もう今日だ)休みだが、友人は朝から仕事である。自分の不注意に巻き込んで申し訳ないなと思いながら目を閉じる。あんなに眠かったはずなのに眠れない。眠れたのかそうでないのかわからぬまま5時になった。友人は起きたが私はもう少し眠らせてもらおうとまた目を閉じた。しかし鍵のことを考えるともう眠れない。6時を回って思いきって布団から這い上がった。昨日と同じ服を着、リビングに行くと寝癖で爆発した私の頭を見て友人は笑った。朝食にパンとヨーグルトをいただいて出勤する友人に先立ち、失礼した。まず駐車場から店までのルートをもう一度歩こうと、昨夜と同じ場所に車を止めた。「ここにはないだろうな~」と思ったが念のため車の周りを歩くと、以外にも砂利の間に懐かしき我が家のキーを見つけた。キーにはイタリアの空港の革細工を扱う店で買った、ハート型のモチーフがついているキーホルダーがついていて、私はこれをとても気に入っていたため、キーはもちろん、キーホルダーを失うことも残念に思っていたのだ。ハート型の革が縫い合わせてあり綿が入っているのか形はぷっくりとしていてとてもかわいい。「あった~」朝日を浴びて私は叫んだ。確かにここに車を止めたのだがキーはやや意外なところに落ちていた。これで店までもう一度歩く必要も、不動産屋に行く必要もない。早速友人にメールする。「よかったね」と返事をもらい家に帰った。

今後は庭のどこかに合鍵を置いておこうか、それとも両親にひとつあずけておこうかと考えているところである。今の所、鍵をバッグにしまう時、鍵の存在を意識するようにしているが・・。しかし改めて気付いたのは「夜は暗い」ということである。明るいところならなんということのない作業が夜は困難になってしまう。「明るい昼間に仕事がしたいな~やっぱりミュージシャンには向いていない?」と、鍵の損失からぶっとんだ考えを抱いてしまう私であった。

Greetings 2013年2月

演奏をしているとたまにかつての同級生がその場にいて数十年ぶりの思わぬ再会になったりする。それはとても嬉しいことなのだが・・・。

昨年12月の近代人でのライブの日、演奏前に曲順を決めながら談笑していると、一人の女性がピアノの前の席に座る姿が見えた。とてもキレイにメイクをし、黒でまとめたファッション、柄物の黒いストッキングをはいた足を組み、近代人にくるにはもったいないような素敵ないでたちである。ミュージシャン席からは見えないが女性には連れがいるようであった。テーブルの上には酒瓶が並び、彼女は連れにビールをついだり話しかけたりしている様子が見えた。連れはきっと男性だろうと思った。

そのうちBGMが止み、私たちはそれぞれの楽器の前にスタンバイした。私も彼女の前を通り、ピアノの前に座った。今夜のライブは5人ほどのお客さんを目の前にしてスタートか・・・。と、客席を見渡したところで、美しい彼女の隣に座っているのは小・中学校の同級生のSM君ではないか???ということに気付いた。SM君はかつてはかわいい顔をした男の子だったので女子には一番人気があり、私も小学生の頃は彼が好きであった。しかし私はそれから30年ほどたった今、おばさんになっており、同級のSMくんが本当のSMくんだとしたらやっぱりあまり素敵でないおじさんになっていた。(ホントにSMくんかなぁ・・・)演奏前にそれ以上考える余裕もなく、1曲目がスタートした。SMくんも私が私だということに気付いたのだろうか?私の顔を見てわずかに動揺したような気がした。そして盛んに彼女とごそごそごそごそっ・・と言葉を交わしている様子が見えた。私は顔は子供のときからこんな顔で、とびぬけて美しく成長したわけでもなく、加えて化粧映えのしない顔である。成人式のときメイクをしてくれた美容師さんは「なんだかいくら塗ってもぜんぜん変わらないわねぇ・・」と失礼なことを言いながらいろいろ塗ったくってくれたが・・。だから子供時代の私を知っている人が今の私を見て、私であることはすぐにわかってしまうような気がした。私はなるべく譜面たてに隠れるように心がけて演奏した。我ながら不気味なピアニストである。

1曲目のアップテンポの「Jeannine」は動揺もあってかいつもにも増してソロで走りまくった。「みんなごめん・・」心のなかでメンバーにそう侘び、2曲目がスタートした。「あれ、今日はメンバー紹介しないのかなぁ」私はリーダー亀和田氏を見た。そしてためしに「メンバー紹介を忘れてくれ~~」とテレパシーを送ってみた。2曲目は私のソロはない。私はテキトーにバッキングをしながら演奏するメンバーを見回した。みんなのんきに演奏している。一人動揺している私がなんだかバカみたいである。しかし私は特に理由はないが同級生に会わないようにしている。クラス会も好きではない。まず過去を懐かしむのが嫌いである。25歳で夜逃げ同然にかつての住まいから引越ししたときに、もう同窓生には会わない、と決めた。でも高校の同級生には会いたい人もいる。思いは複雑なのである。2曲目が終わった。私がソロをやらなかったのでテンポが安定してよかった。「ここでメンバーを紹介しま~す」衝撃の一言が聞こえた。先程のテレパシーは残念ながら届かなかったようである。しかし私は懲りずに次なる念を送った。「私の紹介だけうっかり忘れてしまえ~~」「違う名前で紹介してくれ~~」しかしメンバー紹介は順調に進んでしまい、私も正しく紹介されてしまった。「ピアノ、野中利香、今日はつぎはぎの服を着てます!」衣装まで紹介され、どっと疲れた。SMくんも私が私だと確定し止めを刺されて呆然としているように見えた。そしてなんと3曲目が始まると当該の二人は席を立った。演奏中に席を立たれるのはショックだが反面少し安心して、私に一言のあいさつもなく逃げていったSMくんの心情を想像した。かなり前に聞いたことだが、たしかSMくんは年上の女性と結婚したはずである。どうみても奥さんではない人とのところを見られたくなかったのか・・・・。

演奏をしながら私はなおも想像する。インプロビゼーションのアイディアが泉のように湧き出てくることは皆無なのにどうして妄想はこうも次から次へとあふれてくるのか不思議である。もしかしてあの彼女は奥さんでないどころか、あちらの方面のプロの方なのではないだろうか?今夜は食事をし、宇都宮はジャズの街だっつーから一番有名な近代人でジャズっつーのを聴いて少し酒でも飲んでからホ○○へ・・・、という契約。・・・だとしたら久しぶりに懐かしの同級生と再会しても口はききたくないよなぁ・・・。

次の演奏曲は「Have Yourself A Merry Little Christmas」である。そういえばこの日はイブを明日に控えた23日であった。恋する二人のためのこの曲を聴かずに彼らは帰ってしまった。その後は私も真面目に演奏の中へ入っていった。

1stステージが終わった。メンバーが席に揃ったところで、私は演奏中に席を立った二人について解説をした。「あ~あのカップルねぇ~」皆なんとなく気になっていたようであった。 「まさか元カレじゃないですよねぇ?」トランペットの内部氏は鋭いところをついてきた。しかし当時は小学生、好きだったことはあったが、昔の小学生に元カレといえるような付き合いはもちろんない。私は元カレ説を否定した。一方、自説の「彼女プロ説・イブイブの契約説」には皆、賛同できかねるといった面持ちであった。「そういう契約で近代人にくるかなぁ・・ちょっと色気ないよねぇ・・・」そうか男はそういうときには近代人なんかには来ないのか・・・私は妙に納得したが、真相はもちろん闇・・。それどころかあの男性がSMくんだったのかどうかもわからないし、全然別人で、本当に「こんなつまんねぇ音楽聴いてられっか!!」と思って店を出たのかもしれぬ・・。

2ndステージ以降はお客さんも増え、他のミュージシャンも入り乱れて、にぎやかなライブになり私もSMくんのことはすっかり忘れて演奏し続けた。

確かに幼かった私はSMに淡い想いを寄せたことはあったが、今再会しても再び好きになってしまうことはない。しかしSMくんは「また好きになられたらどうしよう・・」と恐れたのか、とも思う。「それは考えすぎだろう!」とメンバーは笑ったが、せめて「久しぶり!」のひとことがあったらよかったのに、と残念な気持ちになった。

Greetings 2013年1月

新年あけましておめでとうございます。昨年の5月から全然更新していなく、このページを見ることすらなかった半年でした。

「2012年12月22日でこの世が終わる、という内容の映画が上映される」というので急いで「2012」を観に行ったのは何年前のことだっただろうか?結構衝撃を受けて帰ってきたにも関わらず、それからは映画のことは忘れていたが、その後父が脳梗塞になったとき、「今年はお父さんの葬式を出さないようにしたい、2012年の12月にみんなで一緒にこの世からいなくなるのが理想だ」と母が言ったのでまた映画のことを思い出し、このところいろいろなメディアでもこのことを話題にするのを見聞きしたが、ある説では、人類の歴史はさらに7000年続くというものもあり、そして結局当日も何もなく私も皆も平気で仕事をしていた。父も元気だし、そしてこの騒ぎを知らない人もいて驚いたりもした。人間は「世紀末説」をあれこれ語るのがすきなのである。それは自分がこの世からいなくなるということに対する不安があるからではないだろうかと思う。私もこの2012年12月で、人生が終わるのを免れてしまったので、やはり皆一緒ではなく、いつか一人で死んで行かなくてはいけないのだなと思った。

あれ?なんか新年早々暗い?

いえいえ、私のDarksideはこの程度である。今は元旦恒例の、昨夜の紅白を見て楽しんでいる。もうすぐ待ちに待った美輪明宏の出番である。これまで3時間見てきてさまざまな感想を持った。まず全体的に以前より紅白はおもしろく、集中してみることができるようになったような気がする。私も年をとって心が広くなりいろいろなものを受け入れられるようになったのだろうか?

白組の始めから3組目までは全然知らない、藤あや子のバックに映るチャロがかわいくて涙が出る、西野カナは昨年に比べ緊張した様子が感じられず堂々と歌っていて若い子は成長が早いな、とおばさん的感想を持つ。森進一は離婚後全然笑わなくなってしまった。彼の心の闇を思う。ももいろクローバーZは振り付けがいい。AKBは二曲目に行くときの衣装チェンジがすごかった。「どうやっているのだろう」と不思議になる。浜崎あゆみの二曲目の時もしかり、ドアのようなついたて(目隠し?)が出てきたがあの後ろでパンツ1枚になってるのだろうか?と妄想する。そしてたまにやっていることだが「きゃりーぱみゅぱみゅ」とつぶやいてみる。今日は言えた。Tokioは全員楽器ができるからいいなぁ、関ジャニ∞は初出場だと喜んでいるが、そのかわりV6が出ていないことに気付く。そして当然「キャー」という若い女性の歓声が起こる。「美輪明宏」がでてきたのかと思ったら「嵐」だった。同い年の坂本冬美、私は「また君に恋してる」よりも「夜桜お七」の方が断然いいと思う。そして待ってました美輪明宏、画面は真っ暗、マイクだけが光り、衣装も真っ黒、一切の装飾なしだが、なのに期待を裏切らない圧倒的な存在感である。性別を越えたもはや宇宙人なのだ。涙をぬぐって一息つくと、出演者一覧には出ていないMisiaと矢沢栄吉が・・・、Misiaは合成かと見まごう幻想的な砂漠の中で熱唱し、栄ちゃんのバックには元気にギターを弾く山本恭司の姿を認めた。さぶちゃんの「風雪ながれ旅」は4拍子かと思って弾き始めたらイントロの途中で突然3拍子になり、びっくりしたことをいつも思い出す。

今回は「ヨイトマケの唄」聴けて本当によかった。私も一年「エンヤコラ」で頑張ろう。

今夜は相棒2時間スペシャル、そして明日から箱根駅伝である。今年も元気でお正月を迎えることができてよかった。

今年もよろしくお願いいたします。

Greetings 2012年5月

皆様御無沙汰しております

ナベサダと共演が実現した2月のスィングトワイライトのコンサート、昨年から練習をしていたが、どうしても弾けない曲があり、お正月から8小節ずつ区切って練習することにした。1週間くらい弾くとなんとかできるようになり、また次の8小節へ進み・・・、今年ももう5月になってしまったが、年始めはこんな風に家にこもって練習する日々が続いた。自分としては珍しい地道な練習でなんとか本番には間に合い、コンサートも終わって、かなり開放的な気分になった。仕事を断ってのリハーサル参加などで、ジレンマを感じ、普段は感じないストレスがたまっていたのだろう。このブログを読んでくださっている皆さんはストレス発散のためどんなことをするのだろうか?私は「二時間ドラマを見ること」が自分のストレス解消法なのだということに気付いてしまった。女性、いや中年以上の女性のなかにはこの「二時間ドラマ」が好きだという人が多いのではないだろうか?毎日午後になると、○曜ワイド劇場や、今はなくなってしまったが○曜サスペンスなどの再放送が地上放送ではもちろん、BSでも再放送され、コンサートから開放された私は、それらを録画し家事の合間に見るのが楽しくなってしまった。私のお気に入りは「十津川警部シリーズ」である。十津川警部シリーズは、高橋秀樹、渡瀬恒彦、最近では、高嶋兄弟のどちらか(興味がないのでわからない)が演じているが、私が見るのは渡瀬恒彦の十津川警部のみである。相棒の交代が話題になる「相棒」も○曜ワイド劇場でやっている頃からずっと見ておりその再放送も夕方盛んに放送されているが、私は再放送もすでに何度も見ているので、今やっている再放送は見ることはなく、情熱はもっぱら十津川警部に注がれている。渡瀬氏は他にも、「タクシードライバーの推理日誌」「世直し公務員、ザ 公証人」「北アルプス山岳救助隊 紫門一鬼」など多数のシリーズに出演しており、私はそれらも熱心に見ている。

思えば私も年をとった。20代の頃、職場の先輩の彼氏が、よく仕事中に電話してきた。携帯などない時代で、親も友達も用事があると職場に電話してくる。そんなわけで、私たちのプライベートの人間関係は同僚も把握していた。クレスト・フォーの故山本氏も職場が近かったため、よく通りかかり、上司に「野中さ~ん、山本さん来たよ~」とか「山ちゃんから(同僚も陰で山ちゃんと呼んでいた)電話だよ~」などと呼び出されたりした。話がそれそうだが、先輩の彼氏は私たちの中では正体不明で、先輩とは不倫だとか、お互い結婚したくても身分が違うためまわりから反対されていて、こっそり付き合っているだとか・・・電話の時に名乗る「野村」という名前は実は偽名であるとか・・・・。そんな風に噂されていた。ある日私は思い切って先輩に聞いてみた。「○○さんの彼氏は、俳優でいうと誰に似てますか?」すると先輩は嬉しそうに満面の笑みで「んふふ~渡瀬恒彦!!」と言った。仕事中はいつも厳しい先輩からは想像できない相好を崩した顔でそう答えられた私はショックを受けたが、同時に(渡瀬恒彦かぁ・・・。おっさんだな~)と思ったのを今でもはっきり覚えている。時はたち、私は当時の先輩の年を越えた。今の私は渡瀬氏のドラマを熱心に追いかけるおばさんになってしまった。月日の経過を感じずにはいられない。画面の渡瀬氏を見ながら「おっさんだなぁ・・。」と思った若かった自分が笑える。今は「十津川警部かっこいい!!!」と思っているのだから・・・。

しかし私も仕事を持ち、生活もあるので、二時間ドラマばかり見ているわけではない。ピアノも練習しなければいけないし、食事の支度も然り・・。毎朝「さて今日は十津川警部のドラマやるかなぁ・・」と新聞を見るのだが、「あれ、これ前にも見たような・・・。」と思うことがあった。一度見たものはもう見ないと決めている。そんな私は「今まで見た十津川警部シリーズリスト」なるものを作ることにした。チラシの後ろに、39(シリーズ番号である)河津、天城連続殺人事件、26 特急おおぞら殺人事件、などと今まで見たもののタイトルを書いていった。書きながらかなり自分はくだらないことをしているなぁ・・。と思ったが・・・。何でもリストアップしたり、ファイリングしたりするのが、元OLの悲しき性である。しかしこのリストは大変役に立っている。重複視聴は回避され、毎日合理的に十津川警部シリーズを楽しんでいる。

先日、家に来た生徒とひょんなことから、2時間ドラマにはまっている話をした。彼女も、彼女のお母様も私と同様らしく、しかも同じものを何度も見てもOKらしい。私より上手か?私たちはアレを見ているとか、このシリーズが好きだとか、これはわからん、などと勝手に言い合った。そこで私は例のリストを彼女に見せた。彼女は「せんせ~すご~い」と涙を流さんばかりに喜んだ。きっとあまりにもくだらなくて涙が出てしまったのだろう。私も一緒になって、涙を流しながら笑った。

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5月12日(土)ジャズクルージング、SEYCHELLESにて

亀和田國彦(As) 鈴木美佐子(Vo)

私は一人、厨房で演奏?

Greetings 2012年1月

新年あけましておめでとうございます。

年末ジャンボ宝くじを当てて億万長者になるという私の夢は潰えた。しかし無事新年を迎えられたのでよしとしたい。

昨年末の吉日、長年使用したドコモのムーバをやっとFOMAに取り替えた。何度も送られてきたチラシには気に入るような機種が載っておらず、購入がのびのびになっていたのだが、やっと「ほしい」と思えるものが見つかったのだ。今はまだ最低限の使い方しかできないが、私の携帯電話を使いこなす能力はかなり後れているということに気付いた。ムーバを使用していた頃、何人かの方から送られてきたメールで「貼付ファイル削除」と表示されてしまうときが何度かあり、そのうち私の生徒からのメールでは「○日お休みで○日は行きます」という文のもっとも大事な日付の部分が表示されないことがあった。私はその生徒に「余計なものは貼付しないでいいから大事な部分をきちんと送るように」と文句を言った。その時彼女は「結構いろんな人に文字化けしてるっていわれるんですぅ・・・。」と言い、送りなおしてくれた。しかし新機種になって受け取った彼女からの欠席メールを見て、私はびっくりしてしまった。その日のレッスンはクリスマスだったため「Merry Christmas」の文字・・・。しかもクリスマスツリーの周りで遊ぶかわいい猫ちゃんたちの絵があった。下にスクロールするとプレゼントの上によじ登る猫ちゃんや、リースの中から顔を出す猫ちゃんの姿が美しい背景と共にあった。彼女の猫好きな気持ちが伝わってくるものであった。私はそのメールを何度も見かえした。「いままで見られなかったけれどこんなにきれいなメールを送ってくれていたのだ」と「肝心なところだけ送れ」と文句を言った自分を深く反省した。そして今日はまた何通かのメールによる年賀状も届いた。美しい門松の絵や、かわいい竜の絵など、旧機種では見られなかったであろうものが新機種ではキレイに見ることができる。例の生徒からも届いた。キティちゃんが晴れ着を着て「Happy Newyear」と言っている。キティちゃんはクロネコである。ピアノのアタローさんからのものはコタツから白戸家のお父さん(犬)が出てくるデザインである。私はどちらかといえば犬派であり、かわいいお父さん(犬)に見入った。他社(Softbank)ともこのようなやり取りができるのも驚きである。 しかしこれどうやって作るんだろう・・・。私にはこんなものは作って送れないなぁ・・。と思っているところにまたメールが来た。ドラムのコーシローからである。「今度はなんだろう」恐る恐る?開くと「あけましておめでとう。ことしもよろしく」あぁ、文字だけのメールである。私は少し安心した。私はひとりではないと・・・。そんなわけで皆さんの携帯年賀状メール作成能力にびびってしまいショックのあまりなかなか返信ができないでいますが、どうか御容赦を・・・。

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2011年12月16日(金)ブルーJにて、

Terry Woodward(Sax) Litha DeAndrade(B) 川田理(Ds)

Greetings  2011年11月

今年のお正月に引き出しの整理をしていて、美術館などで買った絵葉書がたくさんたまっているのをなんとかしたいと思った。1998年、アメリカから帰ってきて、就職するまでの3か月の間、県内、都内などの美術館を見まくった結果たまっていったのだが、どうしてあの時期美術館めぐりのようなことをしていたのかわからない。アメリカでは、学生はいつでも無料でボストン美術館に入場できたため、友人や、生活に慣れてからはひとりでもよく足を運んでいた。はじめはとっつきやすい印象派の絵画を好んでみていたが、だんだんルネッサンス時代の重苦しい、宗教的な絵画に惹かれていった。ボストン美術館は広く、歩きやすく、大好きな空間だった。たぶんそのせいで「西洋かぶれ」したのだろうと思う。今でも絵を見るのは好きだが、都内で開催される有名画家の企画展は、いつも混んでいて見た気がしないため、いつしか行かなくなってしまった。海外でもNYのメトロポリタン美術館、イギリスの大英博物館は混んでいた。フランスのルーブル美術館に至ってはきっと混んでいるだろうと思うと行く気がしなくなってやめ、オルセーやオランジェリーに行った。私が訪れたときはストライキの関係で見られるエリアはかぎられていたが混雑することなく見られて良かった。話はそれたが、たまったはがきを一枚ずつ眺めてみた。ドガが好きなので、バレリーナの絵柄のものが多くある。そしてピカソの「青の時代」のものも多くある。この時代のピカソの作品は暗く落ち着いたムードで素晴らしい。しかし、病気なのだろうか、ベッドで横たわるおじいさんを、医者や孫のようなかわいい女の子が心配そうに見ている絵柄のはがきを見つけた。おじいさんはまさに今あの世に旅立たんとしているようである。たとえばこれで人に便りを書いて出したら、なんか失礼な感じだ。どうしてこんな絵柄のものを買ってしまったのだろう。あの時期の私はおかしかったのだろうかと心配になった。そしてなんとかして、使う道はないだろうかと考えて、「そうだいろいろな懸賞に応募してみよう」と思った。それから新聞などでのクイズや「プレゼント!!」などという記事を見つけてはせっせと応募した。あまり当てようという気はなく「どうせ当たんないだろうな~、でもはがきが減るならいいや」という感じで送り続けた。病気のおじいさんのはがきは2枚もあったが(なぜ2枚も買ったのかとますます不思議になった)クイズの答えを書いてさっさと手放した。これが手元を去るとすっきりした。3月の震災の際も2週間仕事ができなく、計画停電などもあり、外出も控えていたときも、クイズを解きはがきを書き、散歩がてら歩いてポストに出しに行ったりと今考えるとそんなことが気晴らしになっていたようである。そして4月のある日、マロニエリビングという週1回届く新聞のクロスワードパズルの5人の当選者に自分の名前を見つけた。「やった~!!」商品は1000円のクオカードだが、とても嬉しかった。この手のものに当たるのは初めてだったかもしれない。何しろ今までは応募すらしなかったから・・・。はがきが少なくなると今度は郵便局で官製はがきを買って引き続き応募した。ネットで「懸賞に当選するには??」と検索すると「普通の大きさのはがきにキレイな字で応募すると当たりやすい」という回答を得、それは当たり前のようだが、あまりイラストを添えたり凝ったりせず、普通に応募するだけで十分のようだった。マロニエクロスワード当選の次の目標は、読売新聞日曜版の「よみほっとパズル」である。商品は20000円分のギフトカード、私は日曜日になるとせっせとパズルと解いた。この紙面のパズルはマスに言葉をうめていって最期にいくつかのひらがなを並べてできることばはなんでしょうという、いわゆる普通のパズルと、「数独」という1から9までの数字を並べるもので、何十年も読売を読んでいるにもかかわらず、私はこのパズルを知らなかった。解き方もわからず、知人に聞きながら、時には解いてもらいながら毎週応募した。応募はどちらかのパズルを選んで答えを送るもので、当選者は各パズル5名、当選への道は遠く、きっと当選することはないだろうと思ったら、先日、「おめでとうございます」のあいさつ文とともに20000円のギフトカードが送られてきた。前回の1000円の20倍である。「わーい」私は一人で喜び、あぶく銭なので5000円ずつになっているカードを両親にもあげようと思い実家に行った。しかし両親は「良かったね」とは言ったが、5000円は要らないという。よく聞くと、震災で地震保険がおり、特に使うあてはないがいくらかのお金が振り込まれたため5000円というはした金には興味がないとのことであった。なんという言葉だろう。昔、全財産を失って苦労した人とは思えない。ならば私が全額使おう~!!人生の目標はなかなか思うように達成できないが、狙ったパズルには着実に当選し目標を次々と達成している私である。しかし次なる目標を定められずにいる私でもあった。そんな時3日前であるが、先日新聞を見てネットから応募した「全国のうまいものキャンペーン」に当選したとの通知が来た。これは10000人に当たるというものなのでそれほど難関ではないが、嬉しかった。今日、再び両親に報告すると、母親は「今度は宝くじを買え」と次なる目標を与えてくれた。宝くじ購入における私の過去の成績は10000円当選が1回というものでここ10年くらいは宝くじを買うことをしていない。よし、新たな目標を見つけこの年末は「年末ジャンボ宝くじ」を買おう!と鼻息の荒い私である。

イベントのお知らせ

11月5日(土)「宮ジャズ」

        新星堂あとイベント広場にて、16:30~17:15

       アーテイスティック・ジャズ・ワークショップで出演します。

                亀和田國彦(As)内部真(Tp)阿久津典計(G)岩見達也(B)須藤晶(Ds)

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2011年10月16日(日)ステーションジャズ

亀和田國彦(As)田澤充康(B)須藤晶(Ds)

この日、演奏依頼をすっかり忘れたレギュラーベーシスト岩見氏に代わって急遽駆けつけてくれた田澤くん、ありがとうございました。写真はあとから聴きに来た(様子を見に来た?)岩見氏が撮影。お客さんは熱心に聴いてくれる方が多く、CDも売れた。

Greeting 2011年9月

私が子供の頃に買ってもらったピアノの椅子は、座面が円くてくるくる回しながら高さを調節するものであった。その後、座面が正方形で、背付きの椅子がでてきたが、現在はベンチタイプが主流である。数年前買ったピアノは自宅に置けないため、実家に置かせてもらって練習をしに行っているが、私が練習していると母親が来て、椅子に座布団を敷けと言う。何を思ってそのようなことを言うのかわからない。私のお尻が冷えるのを心配しているのだろうか・・・。断る理由もないのでその通りにしてきたが、そのうち練習後右足の太ももの後ろに痛みをおぼえるようになった。3月頃は結構痛かったが、震災その他でそのうち痛みも忘れてしまっていた。ところが8月末になって、急に痛みがぶり返し、じっとしていても痛いというj状態になってしまった。レッスン中も痛くて生徒の横に立つのも辛い。帰宅して眠ると、夜中に痛さで目が覚めた。寝返りもうてず、2時間ほど苦しんでいる間に気絶して(?)やっと眠りに落ちた。翌日午前中レッスンが終わると、夕方のレッスンが始まる前に病院に行こうと思った。かかりつけの外科は2件ある。1つは空いているのですぐ診てもらえる外科、もうひとつは予約優先で予約の時間に行っても待たされるたぶん人気の外科、である。前者は優しいおじいちゃん先生だが以前私が悩まされた「ヘバーデン結節」を「打撲」と誤診した前科がある。しかしすぐに診てもらいたいためそちらを選択した。

案の定、その外科には数人の患者がいたが、すぐに診てもらえた。ここに来るまで運転中も痛くてアクセル、ブレーキを踏むたびに、いや踏んでいないときも痛かった。車から降りるのも辛い。レントゲンを撮って、写真ができるまで患部に電気をあてながら待った。私は病院の窓から外を見ながら、この痛みについて考えた。どうしてこんなに痛いのだろう・・。乏しい医学知識で自己診断するとこの痛みは、軽症なら肉ばなれ、深刻な病なら骨肉腫である。でも骨は痛くないなぁ・・・。そのうち先生に呼ばれた。先生はのんきな感じでレントゲンフィルムを天井にすかすと「野中さん、何でもないねぇ」と言った。え~、そんなはずない。こんなに痛いのに・・・。「昨夜も眠れないくらいに痛かった」と言ったが、とりあえず深刻なものではないとのことなので、痛み止めと塗り薬をもらって仕事に向かった。

翌日からは3日連続で演奏があり、うち2会場は確かベンチタイプの椅子だった。演奏どころか、自力で歩いていけるのか心配であった。これ以上痛くなって、車椅子でピアノのところまで自らを運んでもらい弱々しく演奏する自分を想像した。100歳の高齢ピアニストならあっぱれな姿だが、今の私がそのような姿では情けない。

薬を飲んで一晩経ったらすっかり楽になった。痛みで目覚めることもなかった。2日目はジャズクルージングであった。聴きに来てくれた知人にその話をすると、そんな足が痛いくらいで病院に行ったのかと笑われた。医者は「運動不足ならもっと歩くべきだ」といっていた。確かに年明けはよく歩いていたが最近は暑いのでそんな気にならない。自転車にも結構乗っていうような気がするし、朝もラジオ体操を欠かさずしているが、それでも運動量が足りないのだろうか・・。そしてピアニストはある部分で肉体労働だと思うが、その場を動いているわけではないので運動していることにはならないのだろう。総じてこの足の痛みは運動不足によって、筋でもちがえた。というのが結論といったところか・・・。とにかくこれが誤診でないことを祈ろう。

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8月13日ベースキャンプにて

Greeting  2011年8月

7月末、日本はなでしこJapanの劇的なW杯優勝に沸いていて、私もテレビで試合の様子を見て感動し、涙が出たが、同時期に俳優、原田芳雄(以下、芳雄)の訃報を聞きワイドショーを見ては涙、新聞記事を読んでは涙、週刊誌を買って読んでは涙、の日々を送った。20代のとき、確かテレビドラマを見て以後ファンになり、歌手としても活躍していることも知った。誕生日に友人が探してプレゼントしてくれたCDが数枚ある。職場の人たちは「野中さんも変な人が好きなのねぇ・・」と笑ったが、私も当時は若く、芳雄のあのアウトロー的イメージがかっこよく見えたのかと思う。今は見かけないが、何かをぶつぶつつぶやきながらオリオン通りを行ったり来たりする怪しい男性がいて、それが芳雄に似ていたため「原田芳雄の人」というあだ名をつけたりしていた。「さっき原田芳雄が歩いてたよ」などと言われて、みんなで笑ったことが懐かしい。

「寝盗られ宗介」という映画がある。私が言うのもなんだが、芳雄は年を重ねるにつれ、ただのアウトローではない、不器用だが、その不器用さにくすっと笑って、そのくせほろっと涙ぐんでしまうような人物を、上手く演じるようになっていったような気がする。この映画ではまさにそんな演技がみられ、大好きな映画のひとつである。芳雄の葬儀で、出棺の際流れていた「愛の賛歌」は、「寝盗られ~」のラストシーンで芳雄が越路吹雪に扮して(女装して)歌うシーンで聴くことができる。女装の大胆さと(ちょっと気持ち悪いかも・・)歌の素晴らしさは圧巻で、芝居のためならなんでもやるという気迫を感じた。

晩年は、テレビドラマでかなり活躍していた。いわゆる「古風なおとうさん」のような役柄が多かった。アウトロー的性質はかなり薄れたが、しみじみとした芝居がますます素晴らしいと思えるような芳雄だった。SMAPの中居くんの父親役を演じた「砂の器」などは話の内容がかわいそうすぎてみるのが辛いほどだった。登場シーンは少なかったが、あの父親役、芳雄にぴったりだった。一方、昨年話題になったNHKの「火の魚」では「年を取ってアウトロー気質が薄くなった」という考えを見事に覆された。芳雄は周囲の人たちに「あの人変わってるわよねぇ・・」と噂され、真っ赤なバラの大きな花束を持って見舞いに行ってしまう都落ちした変わり者の作家を演じていて変わらぬ存在感を見せていた。

芳雄が死の8日前に現在公開中の「大鹿村騒動記」の試写会に出席したことが話題になった。病気のため喉の炎症を起こし、話すことができないといって、共演者がメッセージを代読し、観客の声援を聞いた芳雄は涙を流していた。「激ヤセ」などと言われていて、病と闘う痛々しさが報道されていたが、私にはこの世のいろいろなものがそぎ落とされたすっきりした姿に見えた。言葉が発せられなかったのは、もう言葉など発する必要もない、神になってしまったからだ、というように思えた。

芳雄最期の主演作「大鹿村騒動記」を先週観た。ここでも芳雄はくすっと笑って、ほろっと涙ぐんでしまう不器用な、だが愛すべき男を演じていた。少し具合が悪そうに見えるのは気のせいだろうか?スクリーンの中で、死んだはずの芳雄は生きていた。映画を見れば芳雄に会えるのだ。涙は出なかった。好きな共演者に囲まれて芝居をした芳雄はきっと楽しかっただろう。今度は大好きな作品「寝盗られ宗介」を久しぶりに観よう。  

Greetng  2011年6月

震災で延期になったコンサート、披露宴(での演奏)などが無事日にちを変えて実施され、新たに日曜日も代講でレッスンをすることになったりと5月はあわただしく過ぎていった。今まで週末は決まった仕事を入れずに単発の演奏をしていたので日曜のレッスンにまだ慣れていなく、忘れそうになってしまい怖い。午前中からなので、土曜日の夜の演奏が遅くなったりすると、起きるのが辛い。しかし生徒さんたちは退職した前任の先生から引き継いだ大切な方達で、しかも皆遠くから熱心に通ってきている。やはり前任の先生が絶対的存在だとは思うが、これからも長く続けていただけるようによく考えながらレッスンしていきたい。そういえば、私が留学していた時、9か月休職し、他の先生に代講をお願いして、5月に帰国し復帰しようと思ったら、生徒は0になっていた。あれはショックでとても悲しかった。代講の先生からはなにも報告が無かった。原因についていろいろなことが考えられたが、なるべく考えないようにし、また0から開講した。なんとか生徒さんも増え、ありがたいことに長く続けていただいている方も結構いて、現在に至る。自分が子供のときのことを考えると「ピアノもうやめた~い」と言っても、親が「なに言ってるの!早く行ってきなさい!!」といわれればいやいやでも通い続ける。しかし大人は始めるのもやめるのも自分の意志である。私は大人の指導専門なので「継続」という点を考えたとき、これまでしばしば自分の実力不足を感じる時があった。自分にもっと指導力があればもっと長く続けていただけたのではないか・・、ということである。講師の中には生徒さんの退会の原因を必ず控えておく、という人もいる。生徒ひとりひとりの音楽嗜好、仕事や生活パターン、性格、レッスンに対する真剣度などきちんと把握することが重要である。講師歴は20年を越えたが、指導案などもまだまだ考える余地がある。

事後になりますが6月13日(月)、昨年に続き今年も宇都宮市議会での「議場コンサート」に出演させていただきました。今回はトロンボーン豊田悦見リーダーによるカルテット、リズムセクションは私を含め昨年と同じ、人見昌一(ベース)青木孝之(Ds)。「昨年と違う人がいいのではないか」と私の懸念に「議員の顔ぶれは昨年と違うだろうから・・」ということですこし安心して引き受けました。お決まりの「宇都宮の歌」で始まり、スタンダード数曲、そして毎年聴きにつれてこられる保育園児に捧げる?子供向けの曲は「とんでったバナナ」。しかしどうした保育園児!歌ってくれる子はほどんどいなかったように思われた。実家の母にそういうと「へんだねぇ・・、車の中でこの曲かけると、綾(りょう)ちゃん(私の弟の子供で小学4年生)なら喜んで歌うんだけどねぇ・・・」世代の違いなのかと分析する。しかしながら演奏は楽しく、今回もあっという間に終了した。今回で9回9年目を迎えるというこの議場コンサート。来年は節目の10年目とのことで、早起きのできる大物ミュージシャンが出演するといいのではないでしょうか。

梅雨時らしい天気の毎日が続いています。冬に風邪をひかないようにかなり食べて太って、無事風邪をひかずに乗りきりました。その後数ヶ月かけて少し体重を減らしました。しかしもう少し減量したいと思っているところです。晴れ間の恋しいときですが、あまり暑くなるのも困りますね。今年の夏は暑くなるのでしょうか?

Greeting 2011年4月

たぶんうぐいすはどこかで鳴いていたのだろうが、その春を告げる声にも気付かなかったのだろう。3月の末日になってやっと「ホーホケキョ」と耳に入ってきた。もうその鳴き声は上手になってしまっていた。私は、美しい「ホーホケキョ」より、まだ冬と春の間に聞く「ホーーケキョ、ケ、キョ」というようなへたくそなときの鳴き声が好きなのだが・・。イベントやレッスンなどに忙しく明け暮れる、いつもの春とは完全に趣を異にした今年の春である。少しの演奏やライブをして、停電を避けながらのレッスンも再開された。しかし演奏や、仕事に集中しているときを離れるとふと虚無感をおぼえる。このまま終わりに向かっていくような感じ、皆そんなことはないと言うけれど・・・。

11日は夜、演奏を予定しており、実家から練習をして帰ってきて遅いお昼にしようと思っていたところだった。いつもだったらすぐに止む揺れがいつになっても止まらず、こういうときにはどうしたらいいのだろうとあっちに行ったりこっちに来たりした。これがまさに「右往左往」の状態である。向かいの家のブロック塀が崩れ、その隣の家の瓦がぼろぼろと落ちるのを見て、ただ事ではないと枕を頭にあてて外に出た。この時間は大体の人は仕事をしている時間だろう。「いや~おっかないねぇ」と言って出てきたのは近所のおばちゃん達だけだった。自宅周辺は停電してしまっていた。やっとの思いでI モードで気象情報を検索すると、宇都宮は震度6強となっている。見たことのない数字である。相変わらず揺れが止まらない。「テレビが映らないから何にもわかんないよねぇ~」と言いながらしばらく近所の様子をみていたが、寒くなってきたので皆それぞれの家に戻った。家の中はグラスや写真たてが割れ、台所では鍋が散乱していた。私は独り言を言うタイプではないが、このときは「なにこれ?もういや~」と言いながら、片づけた。後から思うと、年末に「断捨離」を実行したおかげで家の中の混乱はたいしたことは無かった。しかし電気がつかないのは不便である。とりあえずお昼を食べようと思い、電子レンジで温めめられない冷たいご飯と、昨夜の残りの冷たいギョーザ、さっき母親にもらったまだ少し温かいふかしたさつまいもをもそもそと食べた。そのうち知人から連絡が入ったり、母親からも電話がきた。母親は「ぜんぜん電話が通じないよ~だいじか?」と言う。停電してしまったと言うとびっくりしていて、実家は特に被害はなくテレビを見ていて東北の被害がひどいと言っている。「すごい津波がくんだよ(来るんだよ)。」とその言い方があまりにも深刻なので私は心配になって聞いた。「ウチにも津波くんの?(来るの?)」すると母親は少し笑って「ウチにはこないよ」と言った。母親の言い方はもう津波がすぐそこまで来ているような口調だった。こっちは何もわからないのだ。いったん電話を切ると、今夜の仕事、明日の仕事が実施できるのか心配になってきた。事務所や演奏先にメールで問い合わせ、避難用具を確認しようと押入れからスポーツバックを引っ張り出した。今夜このまま停電が続くと、ろうそくが必要である。私は断捨離のさいに捨てられなかった、クマちゃんの形のろうそくがあるのを思い出した。それはまるでつがいのように二つあったがこれでは足りないような気がした。それに電池を入れればCDラジカセのラジオが聴けると思い、外に出るのは怖かったが自転車で買い物に出た。現在は電池、水、パン、納豆などが品不足だが、まだそのときは皆静かに買い物をしていた。しかし皆のかごの中を見るとやはり電池、ろうそくなどが入っている。私もほかに何が必要か考えたが、何も思い浮かばなかった。とりあえず、電池とろうそくと、なぜかのど飴を買って家に戻った。

家に帰ると、今夜演奏する予定だった店から「今日の演奏は中止」とのメールがきていた。そしてまた母親から電話があった。まだ電気がこないと言うと、「今夜はうちへコー(来い)」と言う。この年になって、親の世話になるのも申し訳ないと思ったが、実家でニュースを見て情報を得たいと考え、支度を始めた。私の避難用スポーツバックの中には、ゴムが緩んではけなくなったパンツや、古くなって機能しなくなったブラジャーが20組ほど入っている。これは着替えができないときに着ては捨て、着ては捨てられるように、とっておいたものだ。これは、私がOLの時に、同僚の原田さんが、「旅行に行くときは古い下着を着ていき、旅館のゴミ箱に捨ててしまう」と言った時に「え~?!」と思ったのだが、緊急時には活用できる考えだと思ったため、その後、とっておいたものである。バークリー時代もピアニストの美和さんが「帰国するとき、アメリカで来ていた服は全部捨ててきた」と言ったことにも「なるほど~」と思ったのだ。アメリカの学生なんておしゃれじゃないし、変にこぎれいな格好をすると金持ちだと思われて、泥棒に狙われたら大変だという懸念があり、私もいつ捨てても心残りのない、日本ではあまり着ないようないい加減な格好を平気でしていた。そんな事を思いながら、乾電池を入れたラジオを聴きつつパンツとブラジャーを分ける作業をしていたが、そのうちそれはあまり意味の無い作業に思え、今はまだ本格的な避難生活ではないと考え直し、普通のきれいな下着を一組だけ用意した。そして冷蔵庫も真っ暗になってしまったので、その中身も実家の冷蔵庫に入れてもらおうと、さっき買ったばかりの肉や納豆、牛乳を袋につめた。年金手帳や貯金通帳、これも今の段階ではいらないかもしれなかったが、非常食としていただきものの鯨の缶詰も用意した。あたりはだんだん暗くなってきたので私はクマちゃんのろうそくをともしてみた。クマちゃんはかわいいが、すこし惨めな気持ちになってきた。また母親から電話である。「自分の寝巻き(かいまき)もってコー」とのこと。「きっと枕も必要かも・・・」私はかいまきや枕など次々と車につめ、なんとか家を出られるようになった。ろうそくをもち玄関を開けると「うわっ!」とびっくりしている人の声がした。ちょうど家に来た隣の奥さんだ。「電気来なくなっちゃいましたね」「家の中は大丈夫でした?」などと話し、今夜は家を出ることにする。という彼女に私も実家に帰り、明朝戻る旨を伝えた。そうするうち、また近所の奥さんがご主人と帰ってきた。「停電しちゃいましたよねぇ・・ウチはこのままここにいるしかないんです・・いま買出しに行ってきたんですけど・・。」二人にも明朝帰ると言って、やっと家を出た。信号も消えており、警察官がいないT字路で両側2車線の道の向こう側の車線に合流しなければならない。「こりゃなかなか合流できないな・・。何時間も合流できないかも・・・。」ブブーとクラクションを鳴らされながら「もういや~」と普段言わない独り言を言いながらなんとか合流。途中から信号は点灯していた。「ここは停電じゃないんだ・・。」いまこの世はどんなことになっているのだろうと思いながら、実家に向かった。(続く)

(続き)

実家に着くと、冷蔵庫の中に家から持ってきた食材を入れさせてもらった。「あら、あんた牛肉なんか食べるの?」と母親が言う。「カレーに入れようと思った」と言うと「4足の動物の肉は食べるな」と言う。母はこんな言葉は知らないだろうが、たぶん「マクロビオテック」を無意識のうちに実行しているのだろうと思う。が私は豚肉があるのを発見した。「これも4足じゃない?」と言うと「おとーさんが食べるの」と言う。「マクロ~」を実行しているのは母親だけなのだ。私が荷物を出していると、「あらこのタオルまだ使ってるの?なーつかし~」急須と緑茶の葉を出すと「あら急須まで持ってきたの?」といちいちいろいろなことに反応する。そして早速テレビのニュースで東北の様子を見る。津波が建物を押し流していく映像だ。いままで見たことのない光景。母親はさっきこの映像を見て「すごい津波が来んだよ」と電話してきたのだろう。

普段は「お昼なに食べようかな」「夕飯なに食べようかな」と食べるのを楽しみに生きている私だが、さすがに今夜はあまり食欲がわかない・・というか食べることを忘れていた。母親は夕飯を用意してくれた。こんなふうにご飯を食べさせてもらうのは何年ぶりだろう。私が食事をするそばで母親は布団を敷きはじめた。今夜は1階の和室に私と母親が、隣の茶の間では父親が寝るらしい。「2階の方が安全じゃないの~?」と私が言うと「おとうさんもそう思うけど、今夜はおかあさんの言うこと聞こう」と父親が小さな声で言った。母親の理論では1階の方が安全という見解なのだろう。

そもそも不規則な時間の仕事のため、好きなときに食事をし、お風呂に入る生活をしている私だが、これでも自分ではきちんと管理された生活をしているつもりである。そんな私に母親は「ご飯食べたらお風呂はいりな」と言った。こんなことをいわれるのも久しぶりである。まだ時間は早いが世話になる身、今度はお風呂の準備をした。ここのお風呂は広い、がやはり人の家は勝手がわからない。シャンプーだけは用意してきたが、風呂場においてあるもののどれがボディシャンプーで、どれがシャンプーかリンスが全然わからない。父親は全身固形石鹸で洗ってしまうのは知っている。二人とももう年寄りなので、何で洗ってもいいのだろう。それどころかただ風呂にざぶんと入ればいいというような毎日なのかも知れない。とりあえず、持参したシャンプーを使う。体はどうしよう。今夜はどうでもいいか・・・。と思いながらもおいてあるポンプの中の液体を、おそるおそる手に取り体につけるとなんだかしみる。今思うとあれはボディシャンプーではなく、お風呂の洗剤だったかもしれない。

なんとかお風呂を済ますと、もう母親は布団に入っているようだった。肌の手入れをしながらしばらく父親とテレビを見る。余震も続いていて落ち着かない。10時になり父親も寝ると言うので私も布団に入った。母親はまだ眠れないようで、ごそごそ動いている。遠くでヘリコプターの飛んでいる音がする。余震も続いてゆれっぱなしという感じだ。しかしとなりの茶の間からはもう父親のいびきが「んがーんがー」と聞こえてきた。まだ電気を消して10秒くらいしかたっていない。「おとーさん、もう寝てるよ」母親は笑った。父親はとにかく落ち着いた、何があっても動じない性格である。大変な苦労をしたあの頃ですら、父親の取り乱した姿を見たことはなかった。

ほとんど眠れず、うとうとしただけのような一夜が明けた。年寄りの朝は早い。私もその生活スタイルに合わせ起床した。相変わらずテレビは地震の報道で、余震も続いている。今日は昼間、近くのレストランでの披露宴の演奏を予定していたが、実施の有無はまだ決定していなかった。私は朝食をごちそうになると、自宅で待機しようと実家でる準備をした。「もう帰るの?しばらくいればいいのに」と母親は言うが、私と母親が毎日一緒にいたらケンカ、ケンカの日々である。両親ともなんとか元気な今は離れて暮らすのがベストなのである。しかしたった一晩世話になっただけでも、やはり親というのはありがたい存在であるとしみじみ感じた。「停電が続いていたらまた世話になる」と言い、冷蔵庫の中のものはまだあずかってもらうことにして、自宅に向かった。「電気ついてる~」停電は復旧されていた。

Schedule

 野中利香 演奏スケジュールは,こちらまで

Access

  演奏のご依頼は,ライブにおいでいただくか,ミュージックオフィスAZにご連絡ください.

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コメント

あけましておめでとうございます(1月7日ですが・・・)。やっと野中さんのスケジュールなんかが、このサイト?ブログ?で確認できますね。助かります。それでは、2009年も何卒よろしくお願いいたします。ではでは!

投稿: 目黒 | 2009年1月 7日 (水) 19時47分

おはよ~伊地知です!元気?
今度おれもブログ開設したぞ~
http://kailua.de-blog.jp/hokulea/
東京駒形のイモ食べたくなったらTEL頂戴ね
(大爆笑)

投稿: 伊地知正憲 | 2009年4月12日 (日) 11時56分

19日夜,塩原の吉左右で拝聴いたしました。昨年に続き2度目です。まじめな演奏にとても感動しています。
亀和田國彦さんがリーダートばかり思っていました。このブログを拝見して,B-Styleが野中利香さんをリーダートしたトリオであることを知りました。
昨夜は少し騒がしかったので良く聞きとれませんでした。
お別れの時に「アンコールが一番良かった」なんてとても失礼なことを言ってしまい,申し訳ありませんでした。以下に訂正します。
「もちろん本番もgoodでしたよ。ノリと楽しさではアンコールが一番良かった。」
私は栃木市に生まれ大学を卒業以来,関西を中心に転勤族でした。十年+α前に東京勤務となり,定年を間近に控え,西那須野に自宅を構え,今日に至っています。毎日東京まで朝一番で新幹線通勤をしています。こんなことで一年のご褒美に昨年たまたま新聞の折り込み広告で知った吉左右さんのデイナーに参加してみました。とても好感の持てるまじめな演奏で感動してしまい,今年も同じ企画があれば是非とも参加したいと決めていました。
ジャズの知識はありませんがクラシック同様楽しんでいます。家には,バンダイのLITTLE JAMERがあり,時に「生演奏」を楽しんでいます。
東京はライブ演奏には事欠きませんが,那須塩原地区には黒磯市内の「タイムズカフェ」以外知りません。そんなことで,吉左右さんの企画はとても貴重です。
来年も,また演奏して頂ければと思っています。
これからこのブログの演奏予定を時々拝見して,近くでの演奏があれば是非聞きに行きたいと思います。
私も典型的な(A型の妻曰く)B型です。より身近に感じられるようになりました。
これからまた一層寒くなります。インフルエンザや風邪など注意されて,どうぞこれからもご活躍下さい。

投稿: 猿山秀夫 | 2009年12月20日 (日) 17時31分

猿山秀夫さま
こんにちは。19日は「吉左右」のクリスマスディナーパーティにお越しいただきましてありがとうございました。今回で3回目になる演奏ということで、選曲、曲順、アレンジなどとても気を使って考えました。猿山さまをはじめたくさんのお客様に楽しんでいただき、そしてこのような嬉しいコメントまでいただいて、その甲斐があったと感激しております。このメンバーならではの音を出したいため、演奏するにあたって私がびしびし(本当は優しく?)指示(お願い)をするので、三人もそれを実行してくれようとし、その姿がたぶん真面目な感じに見えるのかもしれませんね。アンコールでは、決めたことがすべて上手くいって満足したので、緊張から開放されて楽しい演奏ができたのかなと思っています。次回はさらに音響などにも気を使いたいと考えています。
さて、今週はクリスマスウィーク、西那須野など県北部はこちらよりずっと寒いのでしょうね。19日の雪景色をみて宇都宮との気候の違いを感じました。どうか楽しいクリスマス、お正月をお過ごしください。そしてまたライブなどでお会いできるのをメンバー共々楽しみにしております。ありがとうございました。

投稿: 野中利香 | 2009年12月21日 (月) 14時05分

 猿山さん,カメワダです.12/19吉左右のクリスマスディナーにおいでいただき,ありがとうございました.演奏を良かったと感じて頂き何よりです.B-Styleは皆んな愉快なメンバーで,私も時々入れて頂くのを楽しみにしています.
 7-8年前には,私も黒磯Times Cafeで定期的に演奏させて頂いておりましたが,最近はなかなかうかがえません.
 宇都宮では野中さんと一緒のライブもありますので,時には新幹線を途中下車して,こちらにもおいでください.
 では,良いお年をお迎えください.

投稿: Kmesada | 2009年12月26日 (土) 07時29分

こんにちは勝戸(ドラム)です。

このブログ、今日発見しました。(^^)
23日はお世話になりました。
30日のインダルスもよろしくです。

ではでは    勝戸

投稿: 勝戸 | 2010年1月25日 (月) 23時32分

す・・・、いや勝戸さん。メールありがとうございます。名前のことがわかりましたので返信させていただきます。1月30日はお世話になりました。奥様や奥様のお友達、そしてドラムのおもしろいお友達によろしくお伝えください。20日のベースキャンプもよろしくお願いいたします!

投稿: 野中利香 | 2010年2月 1日 (月) 22時17分

野中さん、こんにちはhappy01
ボーカルの大島です。
今週金曜日、ブルージェイでご一緒できるということで、大変楽しみにしています。
まだまだ未熟ですが、どうぞ宜しくお願いいたしますheart04

投稿: emiko ooshima | 2010年6月 1日 (火) 10時57分

お久しぶりです。年末恒例の左右吉さんでのライブが近づいてきました。今年も演奏される由,左右吉さんのメールで教えて頂きました。今年も何とか都合をつけて行きたいと思っております。ところで,提案なのですが,どなたか女性ジャズボーカリストとジョイント出来ないでしょうか?雰囲気が華やぐこやと,新しい可能性として期待しております。
例えばTime's CAFEのASAMIさんは無理でしょうか?亀和田さんは今年の夏,Time's CAFEで演奏をされていますね。この関係で何とか無理をお願いできないでしょうか?ASAMIさんのしっとりしたボーカルはB-Styleの演奏とうまくマッチングすると思うのですが?
もし今回無理でも,何時か実現することを期待しております。
それから先日那須野が原ハーモニーホールで一青窈さんの公演を聞きました。その時のピアノのバックが素晴らしく,一青窈さんよりも伴奏の方ばかり見ておりました。紺野紗衣さんという方でした。ハーモニーホールのスタインウエーは以前から素晴らしい音を出すと思っていましたが,今回は全く脱帽でした。いつかぜひハーモニーホールで演奏して下さい。きっと素晴らしいピアノ演奏となり,大いに盛り上がるものと思います

投稿: saruyama | 2010年10月24日 (日) 20時52分

今年の年末の「吉左右」さんでの演奏は無いようですね。残念です。今年はどうなるのかな?ひょっとしてボーカルが共演されるかな?などいろいろと期待を込めて待っておりました。先日「吉左右」さんっから封書が届き,遅ればせながらやっと来たか!と思いきや,ゴルフコンペの案内でした。ホームページを何回か見ていますが,案内が見当たらず,残念です。
先日ハーモニーホールでマルタさんのライブを聴きましたが,すばらしいサックスで時間の経つもあっという間でした。亀和田さんのまじめな演奏も思い出しながら聞いておりました。
また皆様の演奏をどこかで聴けることを期待しつつ,新しい年を迎えたいと思います。

投稿: saruyama | 2011年12月 2日 (金) 22時24分

saruyamaさま、御無沙汰しております。コメントに今日、2012年5月17日に気付きました。コメントをいただいてから半年もたってしまってからのお返事、申し訳ありません。昨年の夏ごろ早々と吉左右さんからご連絡をいただき「今年の年末は福島在住?の素晴らしいベーシストを招いて演奏をしてもらいたい」とおっしゃったので、そのベーシストの方にメンバーを組んでいただくようにお願いし、私は辞退する旨を伝えました。毎年同じミュージシャンではお客さんも飽きてしまうと思ったからです。そんなわけで昨年末はきっと素晴らしいクリスマスディナーショウになったのではないでしょうか?私もこちらで元気に演奏活動しておりますので、たまには宇都宮でのライブにお出かけください。またお会いできる機会がありましたら嬉しく思います。

投稿: 野中利香 | 2012年5月17日 (木) 14時52分

本当にお久しぶりです。今も吉左右でのクリスマスデイナーショーでの暖かい演奏が眼に浮かびます。昨年は行われず,淋しい思いを致しましたが,いろいろな事情があったのですね。
ところで,今年は,12月15日(土)に吉左右でのクリスマスデイナーショーが復活するとのこと,大変うれしく思います。しかも,女性ヴォーカルが加わるとの,私の希望がかなえられている由,きっと楽しいそしてこれまでと違った魅力あるショーとなることでしょう。
ところが,誠に残念の極みですが,15日は先約が入っており,出席ができません。こちらの予定も夏に決まったものであり,変更がきわめて困難です。弊方の事情をご賢察のうえ,ご了承ください。
今回も演奏をしていただけるSAXの亀和田さんをはじめ,BASSの人見さん,DRUMSの川田さん,そしてVOCALの鈴木さん,お会いできず誠に残念です。
今回のデイナーショーも例年通り盛会でありますようお祈りしております。

投稿: saruyama | 2012年11月19日 (月) 16時12分

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