I Remember Berklee ⑪

授業のある日は朝6時半にまずエリザベスが起きて、シャワーを浴びる。彼女の目覚まし時計の音で私も目を覚ますのだが、床に出していたマットレスをベッドに戻して再び眠り、7時20分頃に起きる。私は夜、シャワーを浴びるので、このくらいの時間でいいのだ。顔を洗い、一応化粧をし、服を着ると同じくらいにエリザベスも身支度を整える。彼女のメイクの時間は本当に長い。いろいろな色を使い、念入りに仕上げ、香水も毎日違うものをつけている。それにひきかえ私のいでたちは学生らしいといえばそうだが、明らかに女を捨てているといっていいだろう。日本では毎日スーツにパンプスだったが、ここではジーンズにシャツである。ジーンズは2本しか持ってきていない。シャツは私がアジア人であることを強調しようと選りすぐったものを持ってきたつもりだったが、台湾や韓国の民族衣装的なデザインでTシャツやトレーナーが主流の周りの学生の服装とは明らかに違う異質のものだ。とてもシラフ(?)では着られそうもない。「どうしてこんな服持ってきちゃったんだろう・・)と思いながら、数少ないワードローブでやりくりする私なのであった。

8時にカフェに降りていく。朝は黒人の陽気なおばちゃんがスクランブルエッグにパンケーキかフレンチトースト、それにポテトをよそってくれる。毎朝同じものを注文する変な日本人を覚えてくれたのか、ある日「アイ、ガッチュー」と言って、私が何も言わなくても各品を少量(いつもリトルビットと言っていたので)分けてくれるようになった。エリザベスは常にダイエット中なのでスクランブルエッグとコーヒーだけだ。日本では朝牛乳を飲むことはなく、いつも夜に飲んでいたが、ここでは朝必ず飲むことにしていた。それに紅茶を飲み。メロンを2切れ。これが毎朝のメニューなのである。

火曜日、エリザベスは朝の授業に行き、私はその後11時からの初授業、アレンジのクラスに出かけた。教室は150ビルのB21というところである。エレベーターで向かい、教室に入ると、空いている椅子に座った。生徒は10人前後、その中には豪くんに紹介してもらったタクもいた。「あっ、一緒のクラスですねぇ、よろしく」丁寧に彼は言った。バークリーの男女比は男性80%、女性20%と聞いていたが、その通りこのクラスも男ばかりだ。が、ひとり女の子が入ってきた。アジア系の顔の女の子である。「日本人かな・・・?」向こうもちらちらとこちらを気にしている。

やがて先生が入ってきた。白髪交じりの白人の中年男性だが、きびきび、にこにこして明るそうな先生だ。彼は鞄の中からCDを取り出し、教室に備え付けてあるプレイヤーに入れた。曲が流れた。マイルス・デイビスの「All Blues」だが、アレンジはエレクトリックの楽器にによる演奏で、リズムも凝っている。それをBGMにして先生はホワイトボードに自分の名前、オフィスアワー、電話番号などを書いていった。彼はジェリー・ゲイツ、プロフェッショナルライティング部門の教授で、楽器はベース。続けてジェリーは今流れているCDのパーソナルを書いていった。「トランペット、ランディ・ブレッカー、ベース、ウィル・リー・・・ふうん・・・かっこいいアレンジだな・・・」そう思って書き写していくうちに生徒全員が揃ったらしい。「ハローエヴリィワン!」ジェリーは元気よくそう言って、シラバスを配り、自己紹介をし、出席をとった。それが終わると今度は別のCDをかけ始めた。今度も曲は「All Blues」だったが、元祖マイルス・デイビスのアルバム、「Kind Of Blue」からのものだった。「同じ曲でもこんなに違うんだ。これがアレンジだ。ところでこの曲のスタイルをなんというか知っているかい?」皆一斉に手を挙げる。聞いていた通り、こちらの学生は積極的だ。「ジャズ」「ブルース」といった答えが続いたが、どれも違うらしい。「何だろう・・・」私も手を挙げて言った。「ジャズワルツ?」「うーん惜しい、答えはクールジャズだ。」「オー」という声が教室中に響いた」当時の私にとって前者のアレンジは、普段あまり聴かないスタイルのもので、非常に斬新に聴こえた。今日は初回ということもあり、授業らしい授業もしなかったが、うきうきした気分になった。この授業は50分である。部屋に戻るとすでに授業から戻っていたエリザベスが、「お腹すいたわ、ランチに行かない?」と言った。

昼のメニューは、朝のスクランブルエッグ、ポテトのコーナーが野菜炒めのようなものや、チキンなんとか、ビーフなんとかというものに代わる。おいしそうに聞こえるが、これらのメニューには裏切られることが多いので、私はその向かい側にある、スティーブおじさんが焼くハンバーガーを食べることが多い。スティーブはいつも陽気な黒人のおじさんで、ハンバーガーの中身しか食べないエリザベスと私をセットで覚えたらしく、「元気かい?そうか元気か、よしきっと今日も良い一日になるぞぉ・・チーズバーガーとフライを少しでいいんだよな?ガハハハハー」と言ってくれる。朝の「アイガッチューおばさんといい、スティーブといい、ここのカフェのスタッフたちはハイテンションである。

火曜日の夕方4時から6時までミュージックテクノロジーという授業が入っている。正直受けたくないのだが必修なのでしょうがない。昼食後少し予習でもしておくかとテキストを開いたが、英語ばかりなので嫌になった。バークリーの他のテキストはそれほど辞書を引かなくても理解できる。しかしこの授業のテキストは頻繁に難解な単語が出てくる。辞書を引けば分かる単語はいいのだが、辞書を引いてもいまひとつ意味がつかめない抽象的な単語も多くあり、最悪の場合辞書に載っていない専門語らしいものもあるのだ。内容は一言でいうと「音の概念」つまり音とは・・・とか周波数が・・・ということを学ぶらしい。教室はボストンレッドソックスの球場近くのフェンウェイ通りにある大きな劇場のような部屋だ。有名ミュージシャンによるクリニックなどがある時にも、この教室を使うらしい。ステージにはコンピューター、キーボード、ミキサーなどがある。室内は薄暗く夕方のこの時間、2時間も講義を聞いていたら間違いなく眠くなるだろう。授業が全然理解できなかったらどうしよう。もしかしたらこのクラス、単位を落としてしまうかも・・・。と不安になっていると、アレンジのクラスで一緒だったアジア系の女の子が入ってきた。私に気付かなかったようで、離れて座ったが、しばらくあたりを見回し私がいることに気付くと、私たちは何となく見つめ合った。「またあの子と一緒か・・・」授業が終わったら今度こそ話しかけてみようと思った。

先生が入ってきた。おかっぱ頭で黒髪、てっぺんがハゲていて、カッパみたいだ。黒縁の眼鏡をかけ、変わった柄のシャツを着ている。彼は両手を大きく広げて「ようこそ、ボストンへ!ようこそ、バークリーへ!」と言うと、広げた手を胸に当て目を閉じた。(なんだかおかまっぽいな・・・)しかしこの授業は生徒も40人ほどいて多いので、このくらい大げさなほうがいいのかもしれない。

配られたシラバスを見ながらふと前を見ると、舞台の上のスクリーンに先生の名前、オフィスアワー、電話番号、それに来週は第1章を読んでくること、などということが次々と映し出されているではないか!先生の名前はマイケル・ビエーリョというらしい。(まずい、見落とすところだった)あわてて書き写すと、次はお決まりの自己紹介コーナーである。一人ずつ名前、出身国、専攻楽器、好きな音楽などを言っていった。40人もいるので、今日はこれだけで終わりそうだと思っていると、マイケルが厳かに言った。「君たちがミュージックテクノロジーについて最も興味があることをレポートにして、来週までに提出してくれ。手書きはダメ、メディアセンターのマッキントッシュを使ってかくこと。いいね。じゃあ今日はここまで!シーユーネクストウィーク!」(うげぇ・・やーな授業だな・・)こんなことひとりじゃ絶対できない。そうだ、あの子に聞いてみるか・・と思って彼女のほうを向くと、彼女もこちらに歩いてきた。「一緒に宿題やらない?」私たちはほとんど同時にそう言った。彼女はデビー・リン。ボストンにいる間、勉強はもちろん食事、息抜きも共にした貴重な友人の一人だった。

 

 

 

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I Remember Berklee ⑩

今のところ月曜日に授業はない。エリザベスのアドバイス通り、さっそくアンサンブルオフィスへ行った。結構混んでいる。いったいここでどうやって手続きをするのか?と周りを見て観察した。エリザベスは授業に行ってしまったので、今日は一人で「アンサンブルクラスを取る」ということをしなければならないのである。壁に貼られた表を見るものあり、用紙に記入するものあり、受付に並ぶものあり、と皆それぞれ忙しそうである。やがてわかった。まず壁にはアンサンブルクラスの名前、時間、曜日、編成楽器、担当講師、ジャンル、レベルなどが書いてある紙が貼ってあるので、それを見てクラスを選び、用紙に記入、そして受付に提出するらしい。(どれどれ・・・)表を見て、まず自分のレベルを探した。オーデションの結果、私のレベルは4443という数字で表されていた。これはリーディング力、即興力、コンピング力などを示しており、レベルは1から9まである。4はもっとも平均的なレベルで、大体の人は卒業までに3~6.7くらいになるようだ。ジャンルはほとんどジャズなので、あまり気にせず、でも間違ってロックを取ったりせぬように見ていった。時間帯が他のクラスと重ならないように細心の注意を払い、5つほどメモしてみた。これを皆が持っている用紙に記入しなければならない。(用紙はどこだろう・・・)それは箱に入って無造作に廊下に置いてあった。1枚つまんで列の最後尾に並び記入しながら待った。私の前にはラテン系の男子学生がいる。彼はやはりやり方がわからないらしく、その前にいたアジア系の学生にしきりにいろいろ聞いている。アジア男はたぶん新入生でない日本人だろうと思った。2人は自己紹介などをして、同じギタリストであることを喜びあっていた。アジア男は英語がとっても上手である。(アメリカに何年いたらあんな風に話せるようになるのだろう・・・?)2人の話をぼーっとしながら聞いていた私は思った。高校をでてすぐ留学していたら今よりは英語もかなり上達するだろう。30才前になってあわてて突貫工事のごとく勉強してなんとか入学にこぎつけた私の英語でこの手の手続きを乗り切るのはいつもどきどきであった。そうするうちに私の番になった。クールな白人男性スタッフがコンピューターで検索してくれる。が彼はクールに言った。「キミがここに書いたクラスは全部埋まっている」それはつまりもうすでにピアニストがいるということだ。(う~困った)しかしクール男は「他に取れるアンサンブルクラスがあるかどうか見てみる」と再びコンピューターに向かった。いくつかのクラスがあったがどれも他の授業と重なっていて時間が合わず私は焦った。(たのむよ~)アンサンブルクラスが取れないと私がここバークリーに来た意味はあまりないような気がした。「これはどう?」彼はそういってコンピューターの画面を指差した。「え~っと、月曜日の2時から4時なんだけど・・」「いいです!いいです!」思わず叫んだ私にクールな彼もにこっとして書類にサインしてくれ、コンピューターから新しいスケジュール表を出してくれた。クラスは来週からだ。これで無事アンサンブルクラスが取れ、取得授業数は11クレジットとなった。あと2クレジット取れるので、何をとるか今日のうちに決めてしまおうと思った。科目を追加するにはレジスターオフィスに行かなければならない。私はオフィスのある1140ビルディングにむかった。本当にどこも混んでいる。レジスターオフィスも然り。仕方がないのでまた並んだ。自分の番がくると、「あと2クレジット残っているのだが、どんな科目を取ったらいいか?」とメガネ黒人の受付の彼に聞いてみる。すると「そういうことはここではわからないので、専攻楽器のチェアマンに聞いてくれ」と言うのでm、そこからチェアマンがいる4Uのオフィスに向かった。ここも混んでいたが辛抱強く待った。「そうだねぇ・・・このクラスならまだ空いているが・・・」チェアが私に勧めたのはジャズ・インプロビゼーション・テクニックというクラスだった。そしてそのクラス担当のジャッキー・ビヤード教授のオフィスアワーを教えてくれた。「今日の2時が空いているらしい。150ビルディングのM2という部屋を訪ねてくれ」あちこちたらいまわしのようになっているがこうやって科目をとっていくのか・・・と納得した。

2時になるのを待ってM2のオフィスに行くと、ここでもやはり何人かの学生が教授を待っていた。オフィスも広く、秘書が何人もいて学生をさばいている。ジャッキー・ビヤードはかつてミンガスワークショップのピアニストのジャッキー・バイヤードに名前が酷似しているが、まさか同一人物ではあるまいか・・・などと思いながら待つと、「次はあなたかしら?」秘書が私にそう言い、私はジャッキーのオフィスに入った。ジャッキーはハデなシャツを着た、黒人の太ったおっさんである。バイヤード氏とは違うことを認識したが物腰がとってもお上品だ。オジサマと言ったほうがいいかもしれない。「ジャズ・インプロヴィゼーション・テクニックのクラスを取ろうかと思うのですが・・・」私はそう言いさらに思っていることを付け加えた。「このクラスが演奏中心の授業になるのなら取ろうと思います。でも、講義中心になるなら、英語に自信がないので取らないつもりです」するとジャッキーは言った。「実はこのクラスは講義中心のクラスになる。しかしもし君が英語を理解できなくても私は君を助けるよ。それに君の英語は全然変じゃない。」その言葉を聞いたとたんふっと気持ちが楽になった。そしてこのクラスを取ってみようと思ったのだ。

これで13クレジット分のクラスを取ることができた。あと今日のうちに済ませたいことと言えば、日本から持ってきた100ドルのトラベラーズチェックを銀行に預けることだ。今のところ、スーツケースを金庫代わりにしてしまっているが、セキュリティーからの話では、パスポートなどの貴重品も部屋においておく方が安全だと言う。しかし100ドルはあまりにも大金なのでちょうど部屋に戻ってきたエリザベスと一緒にバンクボストンに行った。バンクボストンはこれまた便利なことにバークリーの向かい側にある。

銀行の中はたくさんの学生らしき人たちで混んでいる。入り口に立っているセキュリティは黒人の中の黒人といった感じで真っ黒くて目つきも鋭くちょっと怖い。待つこと20分、やっと窓口にいる若いおねえさんが私を手招きした。驚いたことに何か食べているらしく口をもぐもぐさせている。日本の銀行では絶対に見られない光景だ。しかし私が預けたいと言った100ドルと引き換えにくれたのはぺらぺらのレシート1枚である。(通帳はないのかなぁ・・・)あとで100ドル預かってませんなんて言われたら私はたぶん気絶するだろう。不安をおぼえたが万が一の時はこのレシートを見せて、ぎゃあぎゃあ騒げばいいと思い、一応すっきりした気分で銀行を出た。

この頃の私は表向きは元気だったが、ややホームシック気味だった。ホームシックというよりは、授業についていけるだろうかという不安や、友達ができるだろうかという不安があったのだ。来年の5月まで日本に帰らないつもりだったが、やはり12月の冬休みにいったん帰ろうかと思ったり、帰りの飛行機のチケットを机から出して何度も見たりと、今から考えればやはり少し変だった。

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I Remember Berklee ⑨

蒲団

田山花袋の「蒲団」とは違うが、暑い夏でも、これからくる寒い冬でも、寝具をきちんとそろえて快適に過ごしたい、という思いがあったため、アメリカでの生活を始めたばかりのこの頃は、布団に対しても関心が強かった。

6日、美香から電話があり、布団を買いに行かないかと言う。もう一枚ちゃんとした布団が欲しかったので「行く!」と言うと、「じゃあ、Tに乗ってさぁ、ポーターの駅まで来てくれる?などと言う。Tはボストン市内を走る地下鉄のことだが、私はどこからどうやっていくら払って乗るのか、など全然わからない。一人でのこのこ出かけていってヘンな人にさらわれちゃったら大変なので、「だめ!危ないから一人じゃ行かないもん!」と言うと、「なーに言ってんのぉー!ヘンなの~。しようがないなぁ、じゃあ迎えに行くよ」「やったーありがとー」(よーし、地下鉄に乗っちゃうぞー)バークリーからの最寄の駅はハインズコンベンション駅だという。そこで美香と待ち合わせることになった。美香に言われたとおりに歩いていくと、豪くんと「ベッド&バス」に行ったときに通った道の途中に駅があった。「あっ、ここだ」地下に続く階段を降りて、迎えに来てくれた美香に聞く。「ねぇ、どのお金でいくら払うの?」「えーっ、そんなこともわかんないのぉ~?」財布をぱかっと開いて立ち尽くす迷える子羊のような私の手元を覗き込んで、「これとこれ、あとこのちっちゃいの」と「ぽいぽい小銭を出してくれたが、どの小銭がいくらなのかなんだかまだわからない。それを窓口にいるおばちゃんに「ワン、プリーズ」と言って渡すとTと書いてあるトークンをくれた。

ガッタンゴットンとやってきたTはなんだかおもちゃみたいだ。Tはレッド、グリーン、オレンジ、ブルーラインと4つの路線があるが今回私たちが乗ったのはグリーンラインだ。途中、レッドに乗り換え、ポーターという駅で降りた。長いエスカレーターに乗って地上に出、しばらく歩き回って、ガソリンスタンドのおじさんに道を聞いたりしたが、結局駅前に布団屋はあった。でも豪くんと行った「ベッド&バス」と同じみたいだ。「ねぇ、これ、バークリーの近くにもあるよぉ」思わず美香に訴える。でもこちらの方が店内も少し広いし、品数も多そうだ。ハーバード大学が近いらしく、お利口そうな男の子がちらほらいる。あちこち見回すとチェックのかわいい掛布団があった。色は緑、黄色、青、紫の4つある。「暗い色だとさぁ、気が滅入っちゃうから明るい色がいいよ」美香がそういうので黄色にした。美香は緑を選んでいた。

布団問題が解決しこのあたりに日本のものが売っているスーパーマーケットがあるというので行ってみることにした。店は「寿屋」という、おめでたい感じの名前だ。中に入ってびっくりした。祖国ニッポンのお菓子、シャンプーなどの生活用品、お米や刺身も売っている。まだ日本を離れて1週間だが懐かしい気持ちになってしまい、我を忘れて品物を漁る私の脳裏に、今日これから教科書を買わなければならない、ということが浮かんだ。現金は400ドルほど持っているが、足りなくなったらどこかの銀行でおろさなければならない。しかしまたもこれは初めての体験でどこでどうやって下ろしたらいいかわからない。いろいろな初体験が重なって、今の私はいっぱいいっぱいでありパニックになりそうなので、銀行へ行くのはもう少し先にしたいと思い、山ほど買いたいという気持ちを押さえた。キャンディーとエアメイルの封筒だけを購入し、再びTに乗った。車内は混んでおり、布団をぶら下げている私たちはいかにもぴかぴかの新入生に見えただろう。周りの人はニコニコしてこちらを見ている。ノーミソが足りないおバカ留学生に見えないだろうか・・と私はそればかり気にしていた。

部屋に戻ってエリザベスに布団を見せると、「いい色ね、どこで買ったの?」と言う。ポーターまで行ったと言うと「一人で行ったの?」と不思議そうだ。きっと(リカはひとりじゃ何もできないはずなのに・・)と思っているのだろう。美香と一緒に行ったと言ったら納得していた。私はエリザベスママや、美香ママがいないとどこにも行けないバブーの赤ちゃんなのである。そしてエリザベスママは言った。「そうそう、もうスケジュール表がメイルボックスに入っているはずよ。見に行かない?オリエンテーションの時にもらった仮のスケジュール表に、メイルボックスの暗証番号が書いてあるから持っていったほうがいいわよ」「えっ、なにそれ!」仮のスケジュール表をよく見ると確かに3つの番号が書いてある。これはひとりひとり違うらしい。プライバシーや大学からの重要な書類、手紙などを守るためにこうしないと開かないようになっているのだ。

エリザベスと連れ立ってメイルルームに行くとやはりスケジュール表を取りにくる学生で混みあっている。「1015・・・1015・・・」私のメイルボックスはちょうど真ん中あたりにあった。そばにメイルルームのスタッフがいて、別の学生に開け方を教えている。「あのー」と言うと、「これを見ながら開けてちょうだい」と小さなカードをくれた。右に回してどーたら、左に回してこーたらと書いてあるが、一応その通りにやっているつもりでもびくともしない。10センチ四方のちっちゃい箱なのに・・・。エリザベスの方を見るとやはりダイヤルをいじっている。彼女のボックスは3なので、私のところからは少し離れている。「う~開かない」引いてダメなら押してみたり、こちょこちょとくすぐってももちろん開かない。再びスタッフに助けを求めようとしたがどうも彼女はブスッとしていて聞きづらい。しかし勇気をふりしぼってお願いした。「さあ、やってみましょう」冷たくそういう彼女は黒人のスタッフでとってもエラソーだ。LeftだLightだと言われ、ぐるぐる回せど一向に開かない。とうとう彼女は自分でちょちょいのちょいと開けてしまった。「さっきあげたカードをよく見ておいてね、次は開けられるように・・・」そう言って彼女は他の迷える新入生のところに行ってしまった。(トホホホ・・・・)しかしスケジュール表がきちんと入っていた。「あっ、これだ」つまみ出して見てみた。クラスのレベルと時間、必要な教科書のタイトルなどが書いてある。ハーモニー(ジャズ理論)とイヤートレーニングはレベル1から4まであり、ハーモニーは2からスタート、イヤートレーニングは4だけをやればいいらしい。マリさんは「ハーモニーは3くらいからできるといいね」と言っていたが私は2からしっかりやり、教授がどのような教え方をするのかも知りたいため、これでいいと思った。アレンジは1を取ることになり、その前の段階のライティングスキルのクラスは飛ばしていいらしい。プライベートレッスンは(仕方なくだが)サインアップしたし新入生必修の謎のクラス「ミュージックテクノロジー」も取る。あとはアンサンブルのクラスを取りたい。ここには「Go To ENS Office」と書いてあるが、いったいどうやるのだろう・・・。「ワーオ、イヤートレーニングが4からなんてすごいわね」エリザベスが私のスケジュール表を覗き込んで言う。「ありがとう・・・そうだ、アンサンブルオフィスってどこか知ってる?」「うーん、わからないけど、ちょっと待って」エリザベスは近くを通った学生に「オフィスはどこだ」と聞いている。「わかったわよ。ちょっと行ってみる?」メイルボックスの先の階段を上り、さらに上に行くとオフィスはあった。しかし閉まっている。「ここだわ、オフィスは土・日は閉まっているから、月曜日にくるといいわ。そうそう、教科書を買いにいかない?」

私たちは部屋に財布を取りに行ってからバークリーブックストアに向かった。それほど大きくない店だが、ここもたくさんの学生で賑っている。ここには教科書、楽譜、文房具各種はもちろん、バークリーのロゴ入りTシャツやリュック、なんとトランクスまであった。(記念にロゴ入りの何かほし~)観光客気分でキョロキョロ見回す私とは対称的にエリザベスは教科書がある棚に真っ先に進んで行った。「ハーモニーはこれね、アレンジは・・・」エリザベスがみんな取ってくれる。私は言われるままにしていた。「5線紙も必要よね、あと普通のノートも・・・3穴のバインダーはこれがいいんじゃない?」ロゴ入りのバインダーはとてつもなくぶっとい。でもせっかくエリザベスが選んでくれたのでそれに決めた。レジに並ぶと、髪がふわふわしたとっても優しそうなおじさんが、「ハーイ、ハウアーユーレイディース?」と言って計算してくれる。オリエンテーションのパンフレットには教科書代は約150ドルかかります。と書いてあったがいくらくらいになるんだろう・・・?「フィフティセブンアンド、イレブンセンツ」私はここアメリカではめったに使わないという100ドル札と50ドル札をバシッとカウンターに置いた。するとおじさんは目を丸くして「オートゥーマッチ」と言ってのけぞった。」「あれっ、聞き違えちゃったかな?」よそ見していたエリザベスがすかさず「「なにっ、いくら?」と聞き返す。「フィフティーセブンアンドイレブンセンツ」私はフィフティとフィフティーンを聞き違えていたのだ。「これだけでいいのよ。おつりちょうだい」エリザベスがおじさんに言った。「シュア」100ドルでおつりをもらった。57ドル11セントでいいのだ。(店での対応は大きな課題だ)旅行ガイドブックには「おつりをごまかされないようにしましょう」と書いてある。このあたりの店にはバークリー卒の店員さんがたくさんいるそうだ。きっとこのおじさんも卒業生だから、親切に「トゥマッチ」と言ってくれたのかもしれない。あとからこのことを知って、日本でもアメリカでも音楽で食べていくことはなかなかできないことなのだ、と思った。

今日は9月6日、日曜日だ。ボストンに来てから1週間が経ち、いよいよ明日から授業が始まる。ブックストアを出ると、エリザベスが言う。「リカ、あなたデスクランプが必要なんじゃない?」その通り、本当に彼女はよく世話を焼いてくれる。私たちはボイルストン通りと反対側の方へ坂を下っていった。その途中に「エコノミー&ハードウェア」という店があった。見るとデスクランプはどれもとても安い。10ドルのものを選び、隣のCVSというドラッグストアに入った。ここはアメリカ国内で最大手のチェーン店らしい。ここでボディシャンプーを買った。この辺は何でも買えてすごく便利だ。でもまだ一人では買い物はできない。

初授業を明日に控えた夜、エリザベスはワープロでなにやら作っている。「できた!」彼女は時間割表を作っていたのだ。「わぁ、いいわね」と言うと、「リカの分も作るわ」と、もう一枚印刷してくれた。そこにすでに入っているクラスの名前を入れていき、時間が重なってしまっているクラスがないかどうかチェックした。そしてそれを机の側の壁に貼ると、はるか昔、小学生の頃を思い出した。29歳になって再び時間割を壁に貼る私・・・。自分で貯めたお金で外国の音大に来たなんて、まだ少し信じられない感じだ。ふり返ると32歳のエリザベスも時間割を貼っている。明日はさっそく9時から授業があるらしい。

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I Remember Berklee ⑧

Japan Club

朝起きると案の定エリザベスはまだ寝ている。さっさと支度をして朝食を食べ、母親と友人、マリさんや英会話の先生キャシーにはがきを書いた。どの人にも「無事バークリーに着いた。心配しないでくれ」と書いた。今日は午後12時からバーベキューパーティがあり、美香と行く約束をしていたので、殺人事件多発地帯のおそるべしフェンウェイパークへ向かった。公園にはたくさんの人がいたので安心。胸に名前と専攻楽器を書いたシールを貼って、ハンバーガーにかぶりつきコークをぐびぐびと飲んだ。やはりここは危険な場所なのか警備員や警官が見回っている。ボストンポリスと書かれたパトカーも止まっている。(こんなにたくさん人がいるし、何かあったら大変だもんなぁ~)そう思いながらたまたま知り合ったイタリア人の女の子と話していると、日本人のとても美しい女性に声を掛けられた。彼女は北国出身のけいこさん、オリエンテーションの時、タクと一緒にいたけいこさんとは違う。でもこちらのけいこさんもヴォーカル専攻だそうなのでこれで2人のけいこさんというヴォーカリストと知り合ったことになる。

そのうちバンド演奏が始まると言うのでステージ(と言ってもただの木陰なのだが)近くに移動した。そこで昨日あったRに会った。Rはルームメイトだというマレーシア人のウェイウェイと何人かのマレーシア人と一緒にいた。彼女ら一人一人とあいさつをして、芝生に腰を下ろし、バンドの演奏を聴いた。天気もいいしこんなにのんびりしたのはなんだか久しぶりのような気がした。アメリカに来る前は2日前まで仕事をしていたし、いざ着いてからも緊張の連続で、よく考えたら音楽も聴いていない。(わ~気持ちいいなぁ・・・)とのびのびしながらふと見ると前にサングラスをかけたエリザベスがいるではないか、しかも隣にはエリザベスと一緒にいるには少し若すぎる白人男がいる。(ひぇ~エリザベスもここに来ていたのか・・・)しかし無視するのもなんなので「Hey!」と声を掛けると「ハーイ!リカ」と昨夜とはうって変わって元気なお応えが帰ってきた。昨夜も元気なことは元気だったが酔ってくだを巻くエリザベスはちょっと怖かった。「今日はこのあとどうするの?」と聞いてきたので、「夕方5時半からジャパンミーティングがあるからこのパーティが終わったら少し部屋で昼寝するわ」(なんたって昨夜のアンタのせいで眠いんだよ)、と心の中で言った。するとやけにしおらしく「そうね、あなた眠いはずだわ」と言う。どうやら一応反省しているらしい。異国人との生活が始まってまだ1週間も経っていないがこれからもいろいろなことがありそうだ。

ゆっくり昼寝をして5時半からのジャパンミーティングに出かけた。現在バークリーに日本人は全校生約3000人の1割、300人ほどいるという。このうちいったい何人参加するのだろうと思いつつ部屋に入った。新入生は20人、上級生のリーダーが一人いる。顧問はピアノ科助教授の竹中真氏である。ピアニストでもある氏は、日本の音楽雑誌ジャズライフでもコラムを書いており、私も当時は毎月読んでいた。写真で見た限り厳しい感じの人で、日本人バークリー生が年々増えていくことを快く思っていないのではないかと勝手に想像していたが、とっても感じのいい方で、ジャパンクラブは異国での慣れない生活でノイローゼにならないようサポートするためにあるのだ。とおっしゃっていた。そして当面の予定として氏の自宅でのバーべキューパーティが9月17日に、ボストンの大学にある日本人会対抗のソフトボール大会が20日に行われるという案内があった。「ソフトボールか・・、久しぶりにやってみたいなぁ・・」私は中学生の時ソフトボール部にいた。それから15年ほど経っており、当時もへたくそだったが、今再びやっても体が動かないだろうな、とは思ったがなんか楽しそうだ。最後に毎週金曜日にミーティングとセッションがある、という話があり、今日のミーティングは終了した。

この後、夜は新入生歓迎のコンサートがあるというのでBPCに向かった。ギタリストのジョン・スコフィールドが出るというのでホール内にはたくさんの人がいる。ビッグバンドやスモールコンボ、ジャズやファンク、フュージョンなどいろいろな形態の音楽を聴き、最後に待望のジョン・スコフィールドが出てきた。バークリーにはジョン・スコフィールドアンサンブル、という、彼の曲ばかりをやるアンサンブルクラスがあり、そのクラスの生徒とのジョイントだった。ギタリストがジョンのほか3人いて皆とても上手だった。

昼間のバーべキューパーテイでも音楽が聴けたし、さすがに今夜はエリザベスもおとなしく寝ている。いよいよ明日はどのクラスになるかわかる日なのである。

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I Remember Berklee ⑦

The Zoo

エリザベスは今日からレジストレーション(科目登録)だと言って、朝から出かけていったが10年前と専攻を変える関係でいろいろ面倒な手続きがあるらしく何度も150Mass. Aveのビルディングと1140を行ったり来たりしている。そのたびに部屋に戻ってきては「ったく、手際が悪いのよ!!ファック!シット!」とお下品な言葉で文句を言っている。私は午後から英語のテストがあるのでやっと落ち着いたエリザベスと入れ違いで部屋を出た。「留学生は英語のテストもあるから大変ね。頑張って」「ありがとう」

テストはフェンウェイ通りに校舎で行うことになっている。ボストンレッドソックスのホームグラウンドの「フェンウェイパーク」という公園の横の通りである。今は昼間だから安心だが、夜は殺人事件などもおこったことがあり危険なので、近くを通らないようにと言われている。私はおっかなびっくり歩いていった。するとアイスブレイクで知り合った美香が校舎の前で「ラップ」といういわゆる西洋春巻きにかぶりついている姿が見えた。「今から英語のテストなんだ」「そう、私も」私たちは一緒に教室に向かった。テストはマークシートで、私は一般教養はとらず音楽のみのディプロマコースなのでここでの英語の成績はクラス分けには関係ない。日本ではもういやというほどTOEFLを受けたので、適当に答えを選び、マークしていった。テストが終わり、美香と150Mass.Aveのビルに戻りながら今夜あるという留学生のミーティングに出席しようと約束し、そこで一旦別れた。

カフェで夕飯をすませ、ミーティングに参加するため1140に向かった。まず自己紹介で出身国と専攻楽器などをひとりひとり言っていくのだが、やはり日本人が多いという印象を受けた。韓国人も結構いてヨーロッパやラテン系のの学生もジョークを交えたあいさつで笑わせてくれた。それにしても皆すごいなまりのある英語でおかしくなってしまった。その後、カウンセリングセンターの担当者から、文化の違いはあっても皆で助け合って頑張りましょうという話や、セキュリティからの注意事項で夜9時以降は出歩かないようにしましょう、などというような話があり、終了した。この後はピザとジュースのサーブがあるのでそれらを食べながらいろいろな国の人と友達になりましょう。ということなので、夕飯は食べたのにがつがつとピザをむさぼり食っていると一人の日本人女性から声を掛けられた。この後2学期にルームメイトになるRだった。

翌4日は学校内施設のオリエンテーションに出かけた。まず、メディアセンター。ここには20台のテレビと40台のCDプレイヤーが設置してあり、見たいビデオや聴きたいCDをコンピューターで検索し観賞することができるのだ。その隣にはE-mailを送受信できるコンピューターが20台ほどあった。次に図書館。普通の本のほか、楽譜やリードシート、音楽雑誌も置いてあり、日本で発売されていたジャズライフやスィングジャーナル(現在の「JAZZ JAPAN」?)もあるのには驚いた。図書館の奥にはラーニングセンターがあり、ここはコンピューターを使って楽譜を書いたり、シーケンサーで音楽データを打ち込んだりというようなことができる、まさに音楽大学ならではの設備だった。案内してくれたスタッフによると、コンピューターの充実度という点から見て、バークリーは世界でもトップレベルの大学になるらしい。「大いに活用してくれ」と言っていたが、私に使いこなせるかなぁ・・・という感じだった。

午後はキャリアリソースセンターに移動した。いわゆる就職課である。ここにもコンピューターがたくさんあり、部屋の外の壁には求人の紙がびらびらと貼ってあった。ホテルでの演奏や音楽講師など結構たくさんあったが、私は卒業はしないのでこの施設を利用できる人がうらやましかった。

施設見学が終わり夜になった。部屋に戻るとエリザベスはワインを飲んでいた。私にも勧めたが私はあまりお酒を飲まないので断るとなおも彼女はぐびぐび飲み、私が寝ようとする頃には相当酔っていた。(なんだろう・・なにか嫌なことでもあったのかなぁ・・)ドアの前で胡坐を組んでなおも飲み続ける彼女に少し腹を立てて、私はベッドに横になった。そのうちエリザベスはくだをまくようになった。「へっ、私はもう若くないからパーティなんて行かないのさっ。」なんて言っている。どうやら本当はパーティに行きたいのだがまわりは19、20の若者ばかりなので躊躇しているようだった。しかしそのうち誰かが誘いに来て、強がりを言っていた彼女もついに、「じゃあ、いっちょいくか~、ヒュ~」と叫ぶと部屋を出ていった。あまりの豹変ぶりに私はあきれた。そして「寮は動物園よ」と言っていたマリさんの言葉を思い出した。しかし早めにこちらに来てアパートを探すことなど私にはできなかったのではやばやと寮に申し込んだのだ。そのことを少し後悔しながら(ミュージックセラピー科ですなんてエラソーにしてたけど、セラピーが必要なのは自分なんじゃないの~?)と腹の中で悪態をついていた。もう真夜中なのに寮の中はとってもうるさい。時計を見ると2時を過ぎている。せっかく時差ボケが治りかけているのに・・・と思いながらやっと眠りについた。

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I Remember Berklee ⑥

September 2nd 1997

翌9月2日は、9時からクラス分けのテストでT4の教室に赴く。昨日のおぞましきアイスブレイクの時の教室の隣だから行くのは簡単だ。教室には15人ほどの生徒がいた。テストはマークシートでジャズ理論(ハーモニー)の分野からは「この調にするにはシャープをいくつつけますか?」といった簡単なものから、モーダルハーモニーに関する難しいものまで出題されていた。私にとっては全体的にやや難しく感じた。アレンジの分野からは正しい記譜を問うものなどで、これらは1部記述式だった。イヤートレーニング(聴音)ではテープを聴いて、「今弾いた音は次のうちのどれでしょう」といった問題が主で、それほど難しくはなかった。監督の先生の説明も理解でき人並みにテストを受けられ安心した。途中で退出する人もいたが、私は時間いっぱい見直しをした。

無事テストが終わり、ビザのチェックのため、パフォーマンスセンターへ行った。留学生はF1というビザが必要で、きちんとそのビザで入国してきたかをチェックものだった。その後はいよいよ専攻楽器のオーディションである。バークリーは大きな敷地内に校舎があるのではなく、寮を含めると15もの校舎があちこちにある。パンフレットには「バークリーの校舎を覚えましょう」と読み方まで書いてあった。最も大きい建物がマサチューセッツ通りに面しているもので私の住まいもここに含まれる。番地から150マスアベ(Mass.Ave)と呼んでいる。昨日から何度もお世話になっているバークリーパフォーマンスセンターは頭文字を取ってBPCと言い、オーデションの会場はボイルストン通りにあり住所が1140なのでイレブンフォーティーと呼ぶらしい。そこの4Uという部屋に行って、プライベートレッスンのサインアップをするらしい。とことこと歩いていくとバークリーの旗がひらひらしている白い石造りの建物があった。なんとなくヨーロッパっぽいなぁ、と思いながら中に入り、4Uというのだから4階だろうとエレベーターで上がっていった。4階にはたくさんの生徒が待っていた。教授のオフィスとレッスン室を兼ねているらしく、各室のドアには教授の名前が書いてある札が付いていた。ピアノの音が廊下まで漏れてくる。(防音室じゃあないんだ、音大なのに・・・)と思いつつ歩いていくと4Uの部屋の前まで来た。するとドアの前に掲示がしてある。さらにここから4Y1という部屋に行ってオーデションを受けるということがわかった。ラストネームのアルファベットにより部屋分けがしてある。4Y1の部屋の前には男の子がたくさんいて皆、廊下に座って待っていた。その列の一番最後に座り、私も待つことにした。言葉のアクセントから察するにヨーロッパ、ラテン系の男性が多い。聞くともなく彼らの話を聞いていると、「つい最近まで軍隊にいたからあんまり練習してないんだ」などと言っている。(はぁ~軍隊ねぇ~)日本に徴兵制度はないので不思議な気持ちになる。さっきからいちゃいちゃしている韓国人の男女が目障りだ。彼らを横目で見ながら一人自分の番が来るのを待った。予定では午後2時からと書いてあるがもうだいぶ時間が経っている。いい加減待つのも飽きたなぁ、と思っているとドアが開いて教授らしき人が2人出てきた。教授様に向かってこのようなことを言うのも失礼だが、一人はものすごいデブで、もう一人は身長が150センチくらいのウッドストックが眼鏡をかけたような感じの真っ赤なTシャツを着たちっこい男だった。デブが言った。「今日はもうこれ以上オーデションはできない、4Lに移動してくれ」「え~、こんなに待ったのにぃ・・」私たちはぶつぶつ言いながら移動した。デブ教授は態度がとっても横柄だった。しかし4Lから出てきた教授は優しそうな高齢の教授だった。「次は君かい?とうぞ」中に入ると中年の女性教授もいた。さっそくリーディングからだ。スィングとファンクを弾くように言われ、これはまあまあできた。リードシートに基づく演奏ではボサノバを指定されたが、これはチェンジが難しくイマイチの出来であった。次に女性教授がビッグバンドのスコアを出して「これを弾いてみてくれる?」と言った。リズムが複雑で間違えてしまい、何度か弾きなおした。最後はいよいよ自由曲だ。私はチャールス・ロイドの「フォレスト・フラワー」という曲を用意してあるがこれをピアノで弾く人はあまりいないと思う。マリさんが「皆が弾かない曲を選んだ方がいい」と言うのでこれに決めたのだ。審査員を煙に巻く作戦である。もっともいこの程度の作戦にはまる教授はいないと思うが・・・。私はリードシートを見せながら「できればベースパートを弾いていただきたいのですが・・」と言うと、「オー、フォレスト・フラワーか・・ナイスな曲だね」とおじさん教授は言い、おばさん教授は「じゃあ、私がベースパートを弾くわ」と電子ピアノに向かった。自分でカウントをとり弾き始めるとおじさん教授は「RuRuRuRuRu~」と歌いながら体を揺らしている。おかげで緊張していた私も少しリラックスして弾けた。そして演奏が終わると書類に何事か書き、「これで終わりだよ。またね」と言ってくれた。無事オーデションも終わりサインアップすべく再び4Uの部屋に向かった。中に入るとチェアマンがいた。好きなジャンルやスタイルを聞かれ各講師のスケジュールを見ながらチェアマンは、「そうだな・・・マーク・ロッシがいい彼はニューヨークスタイルのピアニストだ」と言いながら講師の名前が書かれた小さなカードを渡してくれた」私のレッスン時間は水曜日の2時からと決まった。マーク・ロッシってどんな先生なんだろう?人格もピアノの演奏も素晴らしい人ならいいな・・・。このときの私は素晴らしい講師の指導を受け、見違えるほどにテクニックを上げた自分の姿を想像した。しかし後日、マークとご対面した私は愕然とした。そこにはオーデションの時に「教室移動をしろ」と言ったデブ教授がいたからであった。「こいつかよ~」しかし「この教授に習いたい」と希望をだせるほど他の学生からの情報などから下調べすることもできなかった私は、デブ教授から他の教授への変更をせずに仕方なくレッスンを受けることにした。そしてその後、友人に紹介してもらったジョアン・ブラッキーン女史に校外でプライベートレッスンを受けることにした。ジョアンはスタン・ゲッツのグループのピアニストであったこともあり、ニューヨークのブルーノートでもバリバリライブをする実力派のピアニストだった。しかし私はここでも、どんなに良い教授に習っていてもジャズは人に習う音楽ではなく、自分で、自分のスタイルを築かなければならないのだ。という思いをますます強くした。

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1140ビルディングの前で、向かって左が私、右はなんと一緒にボストンに来た浜野さんである。出発の日、タクシーがあまりにも早く来たため、きちんとあいさつもせずに別れてしまった私たちだが、その後連絡を取り合い、浜野さんは11月のサンクスギビングデイの休暇を利用してボストンまで遊びに来てくれた。

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I Remember Berklee ⑤

September 1st 1997

今日はいったい何月何日だろうと考えてしまうが、9月1日のようだ。朝から大学の隣のパフォーマンスセンターでオリエンテーションやコースのレジストレーションについての説明があるというのでさっそく行ってみた。始めはエリザベスと一緒に行こうと思っていたが彼女は新入生ではなく「リターニング(復学)スチューデント」扱いになるので、今日は一日部屋で片づけをすると言っていた。「ようこそ!バークリーへ!」ホールの舞台に黒人のものすごく太った女性が出てきたとたん周りの生徒は皆、「ヒューヒュー」と歓声をあげている。大学のスタッフなのだろうが全然堅苦しい雰囲気ではなく、盛んにジョークを飛ばしているらしい。私の前に座っているお父さんとその息子は「もーたまんない~」という感じで、涙を流さんばかりにげらげら笑っている。「何がそんなにおかしいんだろう??」私には何を言っているのかさっぱりわからない。が、適当にわかったふりをして笑いながら聞いていた。自分の知らないうちに大事なイベントを見過ごしてしまったら大変と思い、オリエンテーションの案内の冊子を目を皿のようにして見て、とにかく出られるものは全部出ようと意気込んでいたがこれに関してはそれほど重要ではないようだ。でも大学の雰囲気と英語にも慣れたいので、がまんして終わるまでここにいようと思った。

ここバークリーは音大なので、すべての学生はひとつ専攻楽器を決めなくてはいけない。そして一年はセメスター(学期)制なのだが、新入生はハーモニー(和声学)、アレンジ、イヤートレーニング、ミュージックテクノロジーが必修科目で、どのレベルからスタートするかはテストで決まる。専科は3セメスターまでに決めればよく、演奏中心のパフォーマンス科、コンポジション(作曲)科、アレンジ科、フイルムスコアリング科、ミュージックセラピー科など12もの科から選ぶことになっている。

どうやらコース説明は終わったらしい。2時間も座っていたのでふらふらしながら席を立ち、出口に向かった。次は一人の上級生に対して20人くらいの新入生が各教室に入り、先輩の体験談を聞く集まりがあるらしいのでこれに参加すべく教室に向かった。さっきパフォーマンスセンターの出口で渡された紙には「T5」という教室に行くように、と書いてあった。「あった、ここだ。」しかしドアを開けると前の時間帯のグループがまだ最中であった。皆の視線が私に集ったが、「もう少しで終わるから外で待っていてくれ」という先生の言葉で、私は廊下に立って待った。

5分ほどたっただろうか・・ドアが開き、前のグループがどやどやと出てきた。終わったらしい。「さて、行くか」と思ったとき一人の日本人の女の子に声を掛けられた。「さっき入ってきたとき、日本人かと思ったんだけど・・・」彼女が言うにはまだ知っている日本人は一人もいなくて住むところもこちらにいる友人のところを転々としており、今も引越しの最中で忙しいとのことだった。お互いの電話番号を教えあって別れた。名前は美香というそうだ。

私たちのグループのリーダーは日本人だった。名前は「タク」。昨日会ったタクとはもちろん違う。彼はテキサスクリスチャンユニバーシティを出てここに来たらしい。外国人生徒は英語を話すことに対してつい臆病になってしまうというここと、それをどのようにして乗りj越えていったかなどということを話していた。その後、アイスブレイクをやると言ったが、私はアイスブレイクがなんであるかを知らない。どう見てもロック少年だがピアノ専攻だという男の子と、同じくピアノ専攻の女の子と3人で組み、お互いの出身地や、好きなもの、今不安に思っていることなどを話し合い、それを他の生徒に紹介する、というもので、訳のわからない私にとって非常にハードで2人には迷惑をかけてしまったが、彼らは私の英語力のなさに唖然としながらもフォローしてくれた。が、さすがに終わったあとはぐったりした。「これは参加しないほうが良かったかなぁ・・まいった、まいった」よろよろと教室を出て行く先は再びパフォーマンスセンターである。午後はアンサンブルやラボの授業の説明と日々の生活や勉強に関して問題が生じたときに行く、カウンセリングセンターの活用の仕方などの話があった。

今日はここまで参加すれば一応終了である。部屋に戻るとエリザベスが「今から買い物に行くけど、どうする?」と言う。実は日本で愛用していた米ぬか入りの化粧水を忘れてきてしまったのだ。何か大事なものを忘れていたらどうしようと思っていたがやはり忘れてしまった。アメリカに米ぬか入り化粧水があるかどうかはわからないが、ドラッグストアに行きたい、と言うと、「OK!一緒に行こう」ということになった。夜の町は少し怖いが彼女が一緒なら安心だ。大きな通りを歩いてドラッグストアに着いた。まだ頭がくらんでいる私には寮からの位置関係などはわからない。「化粧水はここね」エリザベスが言う。「ノンアルコールがいいんだけど・・」そういいながら端から見ていった。どれもとっても安いが「安かろう、悪かろう」とう気がして胡散臭い。8ヶ月間私のお肌を守らなければならないものなのだ。さらに慎重にひとつひとつ見ていくとニュートロジーナ社のものがあった。これなら日本でもおなじみのメーカーだ。値段は7ドル弱ととっても安い。「これでいいかな」「そうね、アルコール入りだと刺激が強すぎるかもしれないわね」エリザベスはそう言ってのど飴を手にしてレジに並んだ。今必要なものはとりあえずこれだけだ。私たちはすっかり暗くなった通りを足早に寮へと戻った。

明日はいよいよピアノのプレイスメントテストだ。練習をしたいけれど、まだ練習室はオープンしていないのではないかとエリザベスが言う。仕方がないので昨日受付でもらったオーデションの要項を見直した。初見演奏の課題はポップス、ジャズ、ファンクの3ジャンルあり、音を出して練習していないのでなんとも言えないがそれほど難しそうではない。次にリードシートの曲があり、ポップス、ジャズ、ボサノバの3パターンあった。これはたぶん右手でメロディー、左手でコードを押さえながら演奏できるかどうかをテストするものだと思った。練習ができないのならせめて体調をベストにしておこうと、早々と寝ることにした。やはりベッドは窮屈なのでマットレスを床の上にずりずりと引っ張り出せば少し快適かなと思い、一応エリザベスにお伺いを立てると、「いいわよ」とのお返事だったのでこれから毎晩こうして寝ようと思った。

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I Remember Berklee ④

Elizabeth(エリザベス)

「コンコン」とノックの音が聞こえた。時計を見ると4時をまわったところだった。ドアを開けると、ルームメイトのエリザベスが立っていた。「ハーイ、ハロー」グレーのソバージュヘア、瞳もグレーで、背は私よりも低いがはっきりとした顔で美人である。「よろしくね」「こちらこそ、あっ、彼はエクストラハズバンドなの・・・。」見ると彼女の後ろににこにこしている男性が立っていた。でも気のいいおじさんという感じで、なんだかエリザベスとはお似合いでないような気がした。それにしても「エクストラハズバンド」ってなんだろう・・・?とぼんやりしていると、「今、私の荷物を取ってくるわ」と言い、二人は出て行った。しばらくして戻ってきた彼らを見て、私はびっくりした。2メートル四方ほどのばかでかい箱、そしてそれより少し小さい1メートル四方の箱が全部で6箱運ばれてきた。エクストラおっちゃんが手際よくそれらを開けていくと、ものすごい数の洋服、組み立て式の本棚、CDラジカセ、テディベア、なんと観葉植物まで出てきた。私も自分のスーツケースを開けて洋服をたんすに入れたり、机にノートをしまったりしたが、たいした荷物はなく、5分ほどで終わってしまった。別便で自分宛に荷造りし、あとで母親に送ってもらう予定の荷物がダンボール1箱あるがそれも必要最低限のものである。「上と下、どっちに寝たい?私はどちらでもいいわ」私は下を希望した。そこでさっき買ったばかりの豪くんとおそろいのシーツを少し照れながら敷いて、毛布を足元に置いた。が、それもあっという間に終わってしまったので、「何か手伝おうか?」とエリザベスに言ってみたが「いいえ、大丈夫よカレがいるし・・それより長旅で疲れてるんじゃない?少し休んだら?」いやいや、さっきまでうとうとしていたのだが、エリザベスがそう言うのでお言葉に甘えてまたベッドでごろごろすることにした。エクストラおっちゃんも「日本からじゃあ遠いだろう。何時間くらいかかったんだい?」などと言いながらエリザベスの洋服をぱっぱとクローゼットにかけている。クローゼットにはエリザベスの衣装約30点と、私の一着しかないジャケットが並んだ。「トゥーマッチスタッフ!!」(物がありすぎるわ!!)といいながらそれも少し片付いた頃、「私は今からカレと夕飯を食べに行くけど、あなたはどうするの?」と、エリザベスが言った。「うーん、今日からここのカフェテリアで食べられるなら食べるわ」私が答えると「そう・・・でも一人じゃかわいそうね・・・。ちょっと待ってて。」なんと彼女は向かいの部屋に行き、一人の男の子をつかまえ、「彼女と食事に行ってあげてくれる?」と言った。そしてこちらに戻ってくると「彼、ケイシーっていうんだけど、一緒に食事に行ってくれるって!じゃあ、またねっ!」と勝手にこの場をまとめ、あっけにとられている私を置いて、エクストラおっちゃんと消えた。逃げるわけにも行かないので、ケイシー高峰?と私はエリザベスに言われたとおり、素直に地下のカフェテリアに降りていった。受付で名前をチェックされ、トレイを持って好きな食べ物を取るコーナーとおばちゃんにわけてもらうコーナーがあるみたいだ。でもあまりおなかが空いていない。仕方なくサラダを取った。しかしそれにかけるドレッシングの種類がよくわからず、「これでいいや」と選んだものはなぜか「ゲロ」のようなにおいのするとんでもない代物だった。空いているテーブルを見つけ、ケーシーと向かい合わせで座ると、彼はサラダしか取っていない私のトレイを見て、「キミはベジタリアンか?」と言った。「そういうわけじゃないけど時差ぼけみたいで、あまりおなかが空いていないの」見るとケーシーの選んだ食べ物もあまりおいしそうではない。彼はたぶん異なる文化を持つアジア人の女なんかと食事するのは初めてなのだろう。私の必死のヒアリングの結果、彼はシカゴ出身、専攻楽器はフィドルで好きな音楽はブルーグラスであるということがわかった。ジャズ好きの私とは話が合いそうもないが、部屋が向かい合わせなのであまり邪険にはできない。私は一生懸命いろいろ話した。

きゅうりがすごく大きい。そしてぱさぱさでちっともみずみずしくない。トマトもただざくざく切っただけでいかにも農薬をたっぷり浴びていそうだ。その上ドレシングが「ゲロ」のにおいときたら・・食事は10分もかからない。私たちは早々にカフェを出た。

部屋に戻って間もなくエリザベスも帰ってきた。今度はエクストラおっちゃんは一緒ではなかった。しばらくの間お互いのことをいろいろ話した。エリザベスの実家はテネシー州で両親とお兄さんはそこにいるが、彼女は10年前に一度バークリーに入学し、3年後結婚のため休学、だが今回離婚して復学した、ということであった。ここでどうやらエクストラおっちゃんは「元亭主」だということがわかった。二人でジョージア州アトランタから来て、年は32歳で私の3つ上だ。専攻はヴォーカルで10年前はパフォーマンス科だったが、今回はミュージックセラピー科に変更するらしい。実家のお父さんは医者で、お母さんも今は引退したが、以前は看護師としてお父さんを手伝っていたそうだ。「病院で音楽療法を必要とする人たちのために働きたい。」と言った。

無事、ルームメイトとも対面できてほっとした。明日からはまたいろいろなオリエンテーションに参加しなければいけないのでシャワーを浴びて寝ることにした。シャワーの温度調節が難しく、うっかり水を多めにしてぶるっとした後、今度は熱くしすぎて「うわちゃ!うわちゃ!」と意味不明の叫び声をあげてしまったりしながらなんとか済ませた。

ボストンの緯度はだいたい北海道札幌市と同じくらいである。しかしこの時期すでに涼しいのかと思ったらそうでもない。エリザベスは「あつい、あつい」と言いながらミニ扇風機をまわしている。私にとってはそこまでする暑さではないのだが・・・。「ちょっと寒いなぁ・・風邪ひきたくないなぁ・・」その後日本人とアメリカ人の体感温度の違いでしばしば「あつい、さむい」の言い合いになることがあった。

Bed

下が私のベッド、豪くんと買ったおそろいのブルーのシーツが青々としている。しましまの毛布も向こうに見える。手前の本棚、ワープロ(時代を感じる)、サーキュレーター はエリザベスお嬢様の華麗なる私物。寝具もピンクのフリフリでかわいらしい。

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I Remember Berklee ③

Movin’Day(ムービン・ディ)

タクシーはすいすいとビルの谷間を抜けて走っていく。スカッと晴れた空が広がりとても気持ちがいい。運転手は「どこの国から来たのか」とか「楽器は何をやっているのか」などと聞いてきたが、何を言っているのか厳密にはわからない。私があまりにも英語がわかってなく、たぶんとんちんかんな事をいっているのだろう。すこしむっとしているように感じた。やがてまわりにアパートがたくさん見えてきた。そろそろ近いのかなと思っていると、まだ写真でしか見たことがなかったバークリーの建物が見えた。道路にはたくさんの車が止まっている。アメリカ国内からの学生は家族共々車ではるばるここまで来たのだろう。歩道には楽器や本棚が無造作に置かれ、パソコンまで持ってきている人がたくさんいるのが私にとっては驚きだった。当時の私は、会社でのいわゆる「オフコン(オフィスコンピューター)」しかなじみはなく、個人での所有など考えられないことだった。「すごい人だな」運転手がつぶやいた。「そうなの、今日はムービン・ディだから・・・」そう私が言うと「オーそうなのか、ムービン・ディね、なるほど」すこし機嫌がよくなったようだった。

入り口の真ん中に車を止めてくれ、トンネル通過料、チップを含めて21ドル払うと「サンクス」と運転手を見送り改めて大学の建物全体を見回した。「これが夢にまで見たバークリーか・・・」私は学生寮に入ることになっており、今いるこの建物が校舎も兼ねているのである。トランクをガーガー押し、たくさんのガイジンを(私がガイジンなのだが・・)かきわけかきわけ入り口から中に入った。するとすぐ下りの階段があり、広いロビーがあった。そしてその向こうにはフロントデスクが見えた。「Hello!ラストネームは?」フロントには黒人の男の子と、白人の女の子が座っていた。「NONAKA」と言うと私の名前と部屋の電話番号が印字されている封筒を取り出して黒人の彼が言った。「オー、君は5階の部屋だ。僕は五階担当の学生なんだ。よろしくね」彼らは寮内で働いている学生らしい。もらった封筒の中に部屋の鍵、寮のきまりについての小冊子、明日から1週間続くオリエンテーションの案内、大学内の施設のパンフレットなどが入っていた。「あのエレベーターから部屋にいけるよ」黒人の彼の指差すほうに2台のエレベーターがあった。その前にはセキュリティのおじさんがいて、ボタンを押してくれる。「5階お願いします」そう言うとドアが閉まった。古そうで遅いエレベーターである。ゴトゴトいいながらやっと5階に着いた。「517・・・517・・・」余談だが、昨夜泊まったホテルの部屋と偶然同じ番号なのである。迷路のように四方八方に部屋が広がっている。

「ここだ」 部屋は一人部屋ではない。ルームメイトが来る予定だ。前もってルームメイトの名前と連絡先が郵便で日本の自宅に届いていた。ルームメイトの名前は「エリザベス・ドライバー」という。今は朝の9時を少しまわったばかりなので彼女はまだ来ないだろうと思ったが、一応ノックしてみた。応答はない。私は鍵を入れ、ドアを開けた。細長い15畳ほどのスペースがそこにあった。手前右にクローゼットと机、たんすが2つ、左にも机と、その向こうに2段ベッド、そして右手奥にもドアがあった。開けるとトイレとバスタブがある。トイレットペーパーもあり、洗面台の下には前の住人が忘れたのか、ヘルスメーターがぽつんと残っていた。けしてキレイな部屋ではないが、ここがこれからの生活の場になるのかと思うと嬉しかった。どちらの机を使うかとか、ベッドの上に寝るか下に寝るかは、エリザベスが来てからでないと決められないので、とりあえず下のベッドにごろんと横になった。時差ぼけのせいか少し眠い。転がりながらさっきフロントでもらったものに目を通した。これから一週間続くオリエンテーションでクラス分けのテストをしたり、取る科目を決めたり、銀行の口座を作ったりしなければならない。海外に来たのははじめての、言葉が不自由な私にすべてもれなく、間違いなくできるかどうか心配だが、無事ここまで来られたという安心感から、なんとか大丈夫だろうと思い直した。

オリエンテーションカレンダーというものに日ごとに細かくスケジュールが書いてある。どうやら今日はまず、自分の名前が入ったスケジュールカードを取りに行かなくてはいけないらしい。場所はバークリーパフォーマンスのロビーで、地図を見るとこの寮の隣の建物であることがわかった。すべてをなるべく早く済ませたいがちょっと喉が渇いたので、行く前にジュースでも飲むことにした。エレベーターの近くに自動販売機があったことを思い出し、私は財布を持って部屋を出た。販売機にはコーラやマウンテンデュ-があったが、「ピンクレモネード」というのは飲んだことがなかったのでこれに決めた。小銭はないので2ドル入れてボタンを押す。文字通りピンクのレモネードが出てきた。缶ではなくビンである。「あれっ、これどうやって開けるの?」必死で引っ張っているところにおじさんが通りかかった。きっと誰かの親だろう。「これ、どうやって開けるんですか?」とアホ面下げて立っている私におじさんは優しく言った。「トゥイスト、トゥイスト」「なーんだ、ひねるのね」ジュースも満足に飲めないのかと嫌になるところだったが、通行人に助けられた。「やれやれ」部屋にもどってゆっくりジュースを飲んだ。飲み終わったが,アメリカではこのビンのような、危険物(と当時の宇都宮でのゴミ捨ての際にはそう呼び、分類していた)をどのように扱うのかわからないので、ビンをそのまま部屋に残し外に出た。

隣のパフォーマンスセンターにはすでに何人もの学生がいた。親と一緒の人も結構いる。私はハイスクールを出たばかりの子と違ってもう29歳なのだが、一人でここにいる自分を思い、ふと寂しさを感じる。ロビーにいくつかあるテーブルに様々な資料が並んでいた。そこから新入生の名前一覧、この近辺のお店のクーポンなどを適当に取って、奥のテーブルに座っている学生に自分の専攻楽器と名前を言うと、クリーム色のカードに私の名前のシールを貼ってくれた。「これがスケジュールカードだな・・・。」見ると、9月2日9時に音楽理論の筆記試験、12時半にビザのチェック、2時に専攻楽器のオーデションとプライベートインストラクターのサインアップ、4時からIDの写真撮影があり、翌3日に英語のテストを受けることになるらしい。どんなときにもこのカードを持って行動するように、とか、試験の結果どのクラスになるかのスケジュール表が9月6日の12時に各人のメイルボックスに入る予定である、などと書いてあった。そして私のメイルボックスナンバーは1015だということもわかった。この番号を日本の自宅や友人に教えれば荷物や手紙が受け取れるというわけだ。ちょっぴり嬉しくなり、さらにキョロキョロすると2階に続く階段に人が並んでいる。上ではE-Mailアドレスがもらえるらしいが、当時の私はE-Mailがどのようなものなのかはわかっていなかった。しかしなんでもかんでもやってやろう、という気合の入った私は列の最後尾に並んだ。2階に上がると受付のテーブルがあり、ここでもラストネームを言って自分が使うアドレスの入った紙をもらった。そこにいた大学職員のおじさんが、「自分のコンピューターを持っているか?」と聞いてきた。「持っていない」と言うと、おじさんはなんやかんやと言ったが、内容はよくわからなかった。今思えば、「機種によってアドレスが少し違うぞ」というような事を言っていたのではないかと思う。テキトーにうなずき横を見ると、そこには写真をパチパチ撮っているお兄さんがいた。どうやらIDカードを発行しているらしい。私のスケジュール表には2日の4時半と書いてあったが、今できるならやっちゃお!と思い、また並んだ。私の番になり、ブルーの布の前に座った。私の名前やIDナンバーを打ち込むと、カメラマンのお兄さんは言った。「キミは寮に住んでいるのかい?」(どうしてそんなことを聞くの?)これはナンパなのかと思ったが、一応笑顔で「YES!」と答えると、同時にシャッターがパシャッと光って撮影は終わった。さっきの質問はナンパなのか、日本で言うところの「チーズ」的な意味を持つものなのか・・・、などとぼんやり考えていると、お兄さんがカードをくれた。今撮った私の顔写真も入っている。にやっと笑った不気味な写真である。そしてその下には大きく「R」の文字が入っていた。これは「Resident Student」(寮生)の意味で、」そうでない学生との区別のための印だった。カメラのお兄さんはナンパのため聞いてわけではない。このことを知ったのはかなり後であった。異国の地で、私は無知ゆえにおめでたく、このときは結局、「リカだからRなのか!」と勝手に納得していた。

ID社会のアメリカで、めでたくIDカードを手に入れた私は足取りも軽やかに階段を下りた。すると、「バンクボストンインフォメーション」という張り紙がしてあった。(そうか、わざわざ銀行に行かなくてもここで口座が作れるのか・・・。)この手の手続きにも不安を抱いていたため、今ここでできるならしめたものだと再び列の最後尾に並んだ。すると私の前に並んでいる子は東洋人に見えた。もし日本人ならいろいろ聞けると思い、声をかけた。一応英語で・・。「Where are you from?」と聞いたつもりだったが、しばらく人ときちんと口をきいていないため、口が回らなく、ふにゃふにゃ~と言ってしまったので、もう一度言い直すと、期待通り「Japan」という答えが返ってきた。「あ~よかった、みんな結構親と一緒なのよねぇ・・一人ですか?」彼は一人だと言った。しかしそこで自分の番がきてしまい、それぞれ銀行のスタッフの前に座った。差し出された書類に名前、住所、電話番号などを記入した。住所も電話番号も今知ったばかりなので、何度も確認して書いた。そして一番下には日本の住所と、なぜか母親の名前を書けと言われた。最後にカードの暗証番号だが、係りのお姉さんは誕生日と同じ番号にはしないほうがいいと言うので、日本での電話番号を使うことにした。当時の日本の自宅の電話番号は028627****だったが、8桁にしてくれと言うので8627****にした。それをすらすらと書くと、お姉さんは「本当にこんな番号覚えられるの?」と不安そうに言う。「番号の控えはあげられないのよ」でもこれ以外に覚えやすい番号といったら誕生日しかないもんなぁ~と思い、「これでいいです」と答えた。「OK、これで手続きは終わりよ」銀行のパンフレットを手にして私はその部屋を出た。しかし正直、今の手続きが何の手続きなのかよくわからなかった。さっきあった日本人の彼はもういなかった。(な~んだ、いろいろ聞きたかったのになぁ~、でもまた会えるかもしれないし・・・その時聞いてみよう。

寮の部屋に戻ろうと思い、外に出ると、さっきの彼がいた。私はさっそく話しかけた。「口座作った?」「うん、なんかよくわかんないけど終わった」そして彼は2人の日本人学生を紹介してくれた。火星人みたいな頭の形をした、ヴォーカルの「タク」、同じくヴォーカルの「けいこさん」、2人とあいさつしたあと、私は気になっていたことを聞いた。「もうお布団買いました?」「僕らはここに来る前、英語学校にいたのでもう持っているんです。」タクとけいこさんはそう言った。しかし2人を紹介してくれた彼は、「俺、持ってない」と言う。それじゃあ一緒に買いに行きましょう、ということになり、私たちは、タク、けいこさんと別れて歩き出した。店は彼が知っていると言う。やっとここで自己紹介をした。彼は「豪くん」といい、専攻楽器はギター、バークリーに来る前はイギリスのMIという音楽学校にいたと言う。(すごいな・・MIか・・・)いきなりすごい人と会ってしまったと焦ったが、豪くんはJAZZはやったことがなく、ここで始めから勉強するつもりだ、と言った。 それを聞いた私は少し安心して、日本では普通の会社員で(1997年当時)、ピアノも教えていて、バンドでの仕事もしていたなどと話した。そのうち店に着いた。店の名前は「ベッド&バス」という。階段を下りると名前の通り、布団やタオル類、それに関する小物などがたくさんあった。「シーツはセミダブルでいいんだよね」彼の部屋は私と同じ寮の6階だそうだ。私は濃いブルーのシーツを手に取った。「俺もこれでいいや」おそろいなのがちょっとヘンな気分だったが同じシーツを1つ買うことにし、次は毛布があるところへ行った。普通の毛布より少し薄手のものがくるくると丸まって売られている。色は原色が多い。(原色は目にキツイしなぁ・・・)私は白黒しましまの落ち着いた色のものを選んだ。もっと涼しくなれば布団が必要だが、今日はこれでいいと思って、レジに並んだ。30ドル弱だった。日本で買うよりはるかに安い。小銭の使い方がわからないので今回も札で払った。豪くんはさすが外国暮らしが長いので、慣れた感じで支払いを済ませていた。「あー、よかった、布団のことが気がかりだったんだ~」もし今日布団を買えなかった時のために寝袋を持ってきているのだ。しかしこれで布団の心配はない。そのうえ一緒に買いに行ってくれた豪くんはなかなかのイケメンであった。「どうもありがとう、助かった」私たちは寮に着くと、エレベーターに乗り、5階で私は降りた。 部屋に戻ると(今日やるべきことは、なんとかすべて終わったなぁ・・・)などとぼんやりしているうちにうとうとしてしまった。

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I Remember Berklee ②

Arrival(到着)

飛行機の窓から、ボストン湾に浮かぶ船の灯りが見えた。夜景がとってもキレイだ。成田を出発して15時間。やっと地上に降りることができるのかと思うと嬉しくなった。しかし気になることがひとつある。それはマリさんからもらった航空券と一緒に入っていたメモで、それには①空港に着いたらホテルに電話すること。②ホテルより無料送迎バスあり。(白地のバンタイプにブルーの文字でハーバーサイトハイアットと書いてある)とあった。どうやら空港からホテルに送迎の依頼をしなければいけないようだ。いきなり英語で電話するのってキビシイなぁ・・。きっとなに言ってるかわからないだろうなぁ・・。そう思い浜野さんに「マリさんが空港に着いたらホテルに電話しろって」と言うと、逆に「利香さんお願いしますぅ」と言われてしまったので、しぶしぶ引き受けた。昼の11時半にサンフランシスコを出発し、五時間半かかったが、時差があるので、ボストン時間で夜8時半をまわった頃にようやくローガン国際空港に到着した。初めての夜のアメリカはさぞかしこわい雰囲気なのかと思ったが、それほど悪くない。スーツケースを無事ピックアップできたところでさっそく電話を探す。「電話する時ってどのお金つかうんですか?」当然私はこんなことも知らないので、浜野さんに助けを求める。「あっ、それは25セントを使うんですよ。私持ってます。」私は紙幣しかもっていなかったので遠慮なく25セントを借り、恐る恐る番号をプッシュした。

この後、予想通りホテルのクロークとは会話が通じず、わかったふりをして電話を切り、「盛んにトゥーって言ってたよなぁ・・」と思いながら空港の外へ出ると、バスやタクシーが盛んに行きかう中、2番のバスの停留所にスーツケースを転がす人たちやいろいろなホテルの名前が書いてあるバスが何台も止まっているのを見て、ようやく「2番のバス停で待て」と言われたことを理解した。無事バスに乗りホテルに着いたが、ここでもチェックインに手間取った。フロントに「もうアンタはチェックインしたことになっている」と言われ、その部屋に電話をつないでもらいなんとか赤の他人だと証明することができ、やっと浜野さんと二人517号室にたどり着いた。ずっと気を張ってきたが、さすがに疲れを覚えた。「やれやれお茶でも飲むか」と思ってもここには大好きな緑茶のティーバッグと湯のみなどはない。スーツケースから緑茶の葉っぱを取り出して、コーヒーメーカーでお湯を沸かしてお茶を飲んだ。部屋はキレイで広くて快適だった。「いい部屋でよかったね」「きっとマリさんがここを選んでくれたんだね」私たちはそういいあったが、明日は浜野さんともお別れだ。独りでそれぞれの学校へ行かなければならない。そんなことを思いながらカーテンの隙間から外を見るとすぐ下がボストン湾である。「「ここはホントに外国なんだ」たどり着くまでいろいろなことがあった。しかし明日からはもっといろいろなことがあるに違いない。まぁ、今夜はとりあえず寝よう。「おやすみなさい」「おやすみなさい」浜野さんはすぐ眠れたのだろうか?私は、ふかふかのベッドのせいか、なかなか眠れなかった。

朝がきた。昨夜のうちに頼んでおいた朝食をルームサービスで食べた。納豆や味噌汁はない。私は本意でないが仕方なくチーズやソーセージを選んだ。浜野さんは「わぁー、ベーグルだ~私、これ好きなんです~」と喜んでいた。食事が終わると、のんびりする時間はなく、はやばやとチェックアウトした。フロントにタクシーを頼むと、10分くらいで来ると言う。浜野さんの迎えも30分後来るとのことなので、ホテルの玄関に出て待つことにした。ところがドアマンが「タクシーが来たぞ」とこちらに走って呼びに来た。10分どころか1分もたっていない。「えっ、もう来たの?」私はあたふたとスーツケースを転がした。浜野さんも後ろから走ってきた。「さぁ、どうぞ」とドアマンがタクシーを手で示したが、車はシルバーのベンツである。「これ、白タク?」もっとタクシーらしい、屋根の上に広告灯がのっかっている車がいいなぁ~。私はきっと不安そうな顔をしていただろう。そしてドアマンに聞いた。「これが本当にタクシー?」「もちろん!!」彼はきっぱりと言い放った。と同時に運転手が降りてきた。長めのブラウンのおかっぱへアに眼鏡をかけ、ちょっと神経質そうだ。私は「地球の歩き方」に書いてあった「タクシーに乗る時は法外な金額を請求されないよう、乗る前に交渉しよう」という文章を思い出し、早速聞いた。「バークリー音楽院に行くんだけど、いくら位か?」運転手は「なんでこんなこと聞くんだ」という顔をしたが、「20ドル位だ」と言った。(そのくらいならいいか~こんな車じゃ嫌だ、なんて言えないし・・・)NOと言えないニホンジンの私は、腹をくくって荷物をトランクに入れてもらい。車に乗った。(あっ、そうだ、浜野さんは・・・?)気が動転していた私は浜野さんのことを完全に忘れていた。走りだす車の窓から振りかえるときょとんとした浜野さんの顔が見えた。その顔は(あれ~、もう行っちゃうのかなぁ?)と言っているようだった。「バイバイ」お互い手を振ったが私の声は聞こえなかっただろう。浜野さんとの別れはあまりにあっけなかった。しかしこの時の浜野さんのきょとんとした顔は忘れられないだろうと思った。

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