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I Remember Berklee ⑥

September 2nd 1997

翌9月2日は、9時からクラス分けのテストでT4の教室に赴く。昨日のおぞましきアイスブレイクの時の教室の隣だから行くのは簡単だ。教室には15人ほどの生徒がいた。テストはマークシートでジャズ理論(ハーモニー)の分野からは「この調にするにはシャープをいくつつけますか?」といった簡単なものから、モーダルハーモニーに関する難しいものまで出題されていた。私にとっては全体的にやや難しく感じた。アレンジの分野からは正しい記譜を問うものなどで、これらは1部記述式だった。イヤートレーニング(聴音)ではテープを聴いて、「今弾いた音は次のうちのどれでしょう」といった問題が主で、それほど難しくはなかった。監督の先生の説明も理解でき人並みにテストを受けられ安心した。途中で退出する人もいたが、私は時間いっぱい見直しをした。

無事テストが終わり、ビザのチェックのため、パフォーマンスセンターへ行った。留学生はF1というビザが必要で、きちんとそのビザで入国してきたかをチェックものだった。その後はいよいよ専攻楽器のオーディションである。バークリーは大きな敷地内に校舎があるのではなく、寮を含めると15もの校舎があちこちにある。パンフレットには「バークリーの校舎を覚えましょう」と読み方まで書いてあった。最も大きい建物がマサチューセッツ通りに面しているもので私の住まいもここに含まれる。番地から150マスアベ(Mass.Ave)と呼んでいる。昨日から何度もお世話になっているバークリーパフォーマンスセンターは頭文字を取ってBPCと言い、オーデションの会場はボイルストン通りにあり住所が1140なのでイレブンフォーティーと呼ぶらしい。そこの4Uという部屋に行って、プライベートレッスンのサインアップをするらしい。とことこと歩いていくとバークリーの旗がひらひらしている白い石造りの建物があった。なんとなくヨーロッパっぽいなぁ、と思いながら中に入り、4Uというのだから4階だろうとエレベーターで上がっていった。4階にはたくさんの生徒が待っていた。教授のオフィスとレッスン室を兼ねているらしく、各室のドアには教授の名前が書いてある札が付いていた。ピアノの音が廊下まで漏れてくる。(防音室じゃあないんだ、音大なのに・・・)と思いつつ歩いていくと4Uの部屋の前まで来た。するとドアの前に掲示がしてある。さらにここから4Y1という部屋に行ってオーデションを受けるということがわかった。ラストネームのアルファベットにより部屋分けがしてある。4Y1の部屋の前には男の子がたくさんいて皆、廊下に座って待っていた。その列の一番最後に座り、私も待つことにした。言葉のアクセントから察するにヨーロッパ、ラテン系の男性が多い。聞くともなく彼らの話を聞いていると、「つい最近まで軍隊にいたからあんまり練習してないんだ」などと言っている。(はぁ~軍隊ねぇ~)日本に徴兵制度はないので不思議な気持ちになる。さっきからいちゃいちゃしている韓国人の男女が目障りだ。彼らを横目で見ながら一人自分の番が来るのを待った。予定では午後2時からと書いてあるがもうだいぶ時間が経っている。いい加減待つのも飽きたなぁ、と思っているとドアが開いて教授らしき人が2人出てきた。教授様に向かってこのようなことを言うのも失礼だが、一人はものすごいデブで、もう一人は身長が150センチくらいのウッドストックが眼鏡をかけたような感じの真っ赤なTシャツを着たちっこい男だった。デブが言った。「今日はもうこれ以上オーデションはできない、4Lに移動してくれ」「え~、こんなに待ったのにぃ・・」私たちはぶつぶつ言いながら移動した。デブ教授は態度がとっても横柄だった。しかし4Lから出てきた教授は優しそうな高齢の教授だった。「次は君かい?とうぞ」中に入ると中年の女性教授もいた。さっそくリーディングからだ。スィングとファンクを弾くように言われ、これはまあまあできた。リードシートに基づく演奏ではボサノバを指定されたが、これはチェンジが難しくイマイチの出来であった。次に女性教授がビッグバンドのスコアを出して「これを弾いてみてくれる?」と言った。リズムが複雑で間違えてしまい、何度か弾きなおした。最後はいよいよ自由曲だ。私はチャールス・ロイドの「フォレスト・フラワー」という曲を用意してあるがこれをピアノで弾く人はあまりいないと思う。マリさんが「皆が弾かない曲を選んだ方がいい」と言うのでこれに決めたのだ。審査員を煙に巻く作戦である。もっともいこの程度の作戦にはまる教授はいないと思うが・・・。私はリードシートを見せながら「できればベースパートを弾いていただきたいのですが・・」と言うと、「オー、フォレスト・フラワーか・・ナイスな曲だね」とおじさん教授は言い、おばさん教授は「じゃあ、私がベースパートを弾くわ」と電子ピアノに向かった。自分でカウントをとり弾き始めるとおじさん教授は「RuRuRuRuRu~」と歌いながら体を揺らしている。おかげで緊張していた私も少しリラックスして弾けた。そして演奏が終わると書類に何事か書き、「これで終わりだよ。またね」と言ってくれた。無事オーデションも終わりサインアップすべく再び4Uの部屋に向かった。中に入るとチェアマンがいた。好きなジャンルやスタイルを聞かれ各講師のスケジュールを見ながらチェアマンは、「そうだな・・・マーク・ロッシがいい彼はニューヨークスタイルのピアニストだ」と言いながら講師の名前が書かれた小さなカードを渡してくれた」私のレッスン時間は水曜日の2時からと決まった。マーク・ロッシってどんな先生なんだろう?人格もピアノの演奏も素晴らしい人ならいいな・・・。このときの私は素晴らしい講師の指導を受け、見違えるほどにテクニックを上げた自分の姿を想像した。しかし後日、マークとご対面した私は愕然とした。そこにはオーデションの時に「教室移動をしろ」と言ったデブ教授がいたからであった。「こいつかよ~」しかし「この教授に習いたい」と希望をだせるほど他の学生からの情報などから下調べすることもできなかった私は、デブ教授から他の教授への変更をせずに仕方なくレッスンを受けることにした。そしてその後、友人に紹介してもらったジョアン・ブラッキーン女史に校外でプライベートレッスンを受けることにした。ジョアンはスタン・ゲッツのグループのピアニストであったこともあり、ニューヨークのブルーノートでもバリバリライブをする実力派のピアニストだった。しかし私はここでも、どんなに良い教授に習っていてもジャズは人に習う音楽ではなく、自分で、自分のスタイルを築かなければならないのだ。という思いをますます強くした。

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1140ビルディングの前で、向かって左が私、右はなんと一緒にボストンに来た浜野さんである。出発の日、タクシーがあまりにも早く来たため、きちんとあいさつもせずに別れてしまった私たちだが、その後連絡を取り合い、浜野さんは11月のサンクスギビングデイの休暇を利用してボストンまで遊びに来てくれた。

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