« I Remember Berklee ② | トップページ | I Remember Berklee ④ »

I Remember Berklee ③

Movin’Day(ムービン・ディ)

タクシーはすいすいとビルの谷間を抜けて走っていく。スカッと晴れた空が広がりとても気持ちがいい。運転手は「どこの国から来たのか」とか「楽器は何をやっているのか」などと聞いてきたが、何を言っているのか厳密にはわからない。私があまりにも英語がわかってなく、たぶんとんちんかんな事をいっているのだろう。すこしむっとしているように感じた。やがてまわりにアパートがたくさん見えてきた。そろそろ近いのかなと思っていると、まだ写真でしか見たことがなかったバークリーの建物が見えた。道路にはたくさんの車が止まっている。アメリカ国内からの学生は家族共々車ではるばるここまで来たのだろう。歩道には楽器や本棚が無造作に置かれ、パソコンまで持ってきている人がたくさんいるのが私にとっては驚きだった。当時の私は、会社でのいわゆる「オフコン(オフィスコンピューター)」しかなじみはなく、個人での所有など考えられないことだった。「すごい人だな」運転手がつぶやいた。「そうなの、今日はムービン・ディだから・・・」そう私が言うと「オーそうなのか、ムービン・ディね、なるほど」すこし機嫌がよくなったようだった。

入り口の真ん中に車を止めてくれ、トンネル通過料、チップを含めて21ドル払うと「サンクス」と運転手を見送り改めて大学の建物全体を見回した。「これが夢にまで見たバークリーか・・・」私は学生寮に入ることになっており、今いるこの建物が校舎も兼ねているのである。トランクをガーガー押し、たくさんのガイジンを(私がガイジンなのだが・・)かきわけかきわけ入り口から中に入った。するとすぐ下りの階段があり、広いロビーがあった。そしてその向こうにはフロントデスクが見えた。「Hello!ラストネームは?」フロントには黒人の男の子と、白人の女の子が座っていた。「NONAKA」と言うと私の名前と部屋の電話番号が印字されている封筒を取り出して黒人の彼が言った。「オー、君は5階の部屋だ。僕は五階担当の学生なんだ。よろしくね」彼らは寮内で働いている学生らしい。もらった封筒の中に部屋の鍵、寮のきまりについての小冊子、明日から1週間続くオリエンテーションの案内、大学内の施設のパンフレットなどが入っていた。「あのエレベーターから部屋にいけるよ」黒人の彼の指差すほうに2台のエレベーターがあった。その前にはセキュリティのおじさんがいて、ボタンを押してくれる。「5階お願いします」そう言うとドアが閉まった。古そうで遅いエレベーターである。ゴトゴトいいながらやっと5階に着いた。「517・・・517・・・」余談だが、昨夜泊まったホテルの部屋と偶然同じ番号なのである。迷路のように四方八方に部屋が広がっている。

「ここだ」 部屋は一人部屋ではない。ルームメイトが来る予定だ。前もってルームメイトの名前と連絡先が郵便で日本の自宅に届いていた。ルームメイトの名前は「エリザベス・ドライバー」という。今は朝の9時を少しまわったばかりなので彼女はまだ来ないだろうと思ったが、一応ノックしてみた。応答はない。私は鍵を入れ、ドアを開けた。細長い15畳ほどのスペースがそこにあった。手前右にクローゼットと机、たんすが2つ、左にも机と、その向こうに2段ベッド、そして右手奥にもドアがあった。開けるとトイレとバスタブがある。トイレットペーパーもあり、洗面台の下には前の住人が忘れたのか、ヘルスメーターがぽつんと残っていた。けしてキレイな部屋ではないが、ここがこれからの生活の場になるのかと思うと嬉しかった。どちらの机を使うかとか、ベッドの上に寝るか下に寝るかは、エリザベスが来てからでないと決められないので、とりあえず下のベッドにごろんと横になった。時差ぼけのせいか少し眠い。転がりながらさっきフロントでもらったものに目を通した。これから一週間続くオリエンテーションでクラス分けのテストをしたり、取る科目を決めたり、銀行の口座を作ったりしなければならない。海外に来たのははじめての、言葉が不自由な私にすべてもれなく、間違いなくできるかどうか心配だが、無事ここまで来られたという安心感から、なんとか大丈夫だろうと思い直した。

オリエンテーションカレンダーというものに日ごとに細かくスケジュールが書いてある。どうやら今日はまず、自分の名前が入ったスケジュールカードを取りに行かなくてはいけないらしい。場所はバークリーパフォーマンスのロビーで、地図を見るとこの寮の隣の建物であることがわかった。すべてをなるべく早く済ませたいがちょっと喉が渇いたので、行く前にジュースでも飲むことにした。エレベーターの近くに自動販売機があったことを思い出し、私は財布を持って部屋を出た。販売機にはコーラやマウンテンデュ-があったが、「ピンクレモネード」というのは飲んだことがなかったのでこれに決めた。小銭はないので2ドル入れてボタンを押す。文字通りピンクのレモネードが出てきた。缶ではなくビンである。「あれっ、これどうやって開けるの?」必死で引っ張っているところにおじさんが通りかかった。きっと誰かの親だろう。「これ、どうやって開けるんですか?」とアホ面下げて立っている私におじさんは優しく言った。「トゥイスト、トゥイスト」「なーんだ、ひねるのね」ジュースも満足に飲めないのかと嫌になるところだったが、通行人に助けられた。「やれやれ」部屋にもどってゆっくりジュースを飲んだ。飲み終わったが,アメリカではこのビンのような、危険物(と当時の宇都宮でのゴミ捨ての際にはそう呼び、分類していた)をどのように扱うのかわからないので、ビンをそのまま部屋に残し外に出た。

隣のパフォーマンスセンターにはすでに何人もの学生がいた。親と一緒の人も結構いる。私はハイスクールを出たばかりの子と違ってもう29歳なのだが、一人でここにいる自分を思い、ふと寂しさを感じる。ロビーにいくつかあるテーブルに様々な資料が並んでいた。そこから新入生の名前一覧、この近辺のお店のクーポンなどを適当に取って、奥のテーブルに座っている学生に自分の専攻楽器と名前を言うと、クリーム色のカードに私の名前のシールを貼ってくれた。「これがスケジュールカードだな・・・。」見ると、9月2日9時に音楽理論の筆記試験、12時半にビザのチェック、2時に専攻楽器のオーデションとプライベートインストラクターのサインアップ、4時からIDの写真撮影があり、翌3日に英語のテストを受けることになるらしい。どんなときにもこのカードを持って行動するように、とか、試験の結果どのクラスになるかのスケジュール表が9月6日の12時に各人のメイルボックスに入る予定である、などと書いてあった。そして私のメイルボックスナンバーは1015だということもわかった。この番号を日本の自宅や友人に教えれば荷物や手紙が受け取れるというわけだ。ちょっぴり嬉しくなり、さらにキョロキョロすると2階に続く階段に人が並んでいる。上ではE-Mailアドレスがもらえるらしいが、当時の私はE-Mailがどのようなものなのかはわかっていなかった。しかしなんでもかんでもやってやろう、という気合の入った私は列の最後尾に並んだ。2階に上がると受付のテーブルがあり、ここでもラストネームを言って自分が使うアドレスの入った紙をもらった。そこにいた大学職員のおじさんが、「自分のコンピューターを持っているか?」と聞いてきた。「持っていない」と言うと、おじさんはなんやかんやと言ったが、内容はよくわからなかった。今思えば、「機種によってアドレスが少し違うぞ」というような事を言っていたのではないかと思う。テキトーにうなずき横を見ると、そこには写真をパチパチ撮っているお兄さんがいた。どうやらIDカードを発行しているらしい。私のスケジュール表には2日の4時半と書いてあったが、今できるならやっちゃお!と思い、また並んだ。私の番になり、ブルーの布の前に座った。私の名前やIDナンバーを打ち込むと、カメラマンのお兄さんは言った。「キミは寮に住んでいるのかい?」(どうしてそんなことを聞くの?)これはナンパなのかと思ったが、一応笑顔で「YES!」と答えると、同時にシャッターがパシャッと光って撮影は終わった。さっきの質問はナンパなのか、日本で言うところの「チーズ」的な意味を持つものなのか・・・、などとぼんやり考えていると、お兄さんがカードをくれた。今撮った私の顔写真も入っている。にやっと笑った不気味な写真である。そしてその下には大きく「R」の文字が入っていた。これは「Resident Student」(寮生)の意味で、」そうでない学生との区別のための印だった。カメラのお兄さんはナンパのため聞いてわけではない。このことを知ったのはかなり後であった。異国の地で、私は無知ゆえにおめでたく、このときは結局、「リカだからRなのか!」と勝手に納得していた。

ID社会のアメリカで、めでたくIDカードを手に入れた私は足取りも軽やかに階段を下りた。すると、「バンクボストンインフォメーション」という張り紙がしてあった。(そうか、わざわざ銀行に行かなくてもここで口座が作れるのか・・・。)この手の手続きにも不安を抱いていたため、今ここでできるならしめたものだと再び列の最後尾に並んだ。すると私の前に並んでいる子は東洋人に見えた。もし日本人ならいろいろ聞けると思い、声をかけた。一応英語で・・。「Where are you from?」と聞いたつもりだったが、しばらく人ときちんと口をきいていないため、口が回らなく、ふにゃふにゃ~と言ってしまったので、もう一度言い直すと、期待通り「Japan」という答えが返ってきた。「あ~よかった、みんな結構親と一緒なのよねぇ・・一人ですか?」彼は一人だと言った。しかしそこで自分の番がきてしまい、それぞれ銀行のスタッフの前に座った。差し出された書類に名前、住所、電話番号などを記入した。住所も電話番号も今知ったばかりなので、何度も確認して書いた。そして一番下には日本の住所と、なぜか母親の名前を書けと言われた。最後にカードの暗証番号だが、係りのお姉さんは誕生日と同じ番号にはしないほうがいいと言うので、日本での電話番号を使うことにした。当時の日本の自宅の電話番号は028627****だったが、8桁にしてくれと言うので8627****にした。それをすらすらと書くと、お姉さんは「本当にこんな番号覚えられるの?」と不安そうに言う。「番号の控えはあげられないのよ」でもこれ以外に覚えやすい番号といったら誕生日しかないもんなぁ~と思い、「これでいいです」と答えた。「OK、これで手続きは終わりよ」銀行のパンフレットを手にして私はその部屋を出た。しかし正直、今の手続きが何の手続きなのかよくわからなかった。さっきあった日本人の彼はもういなかった。(な~んだ、いろいろ聞きたかったのになぁ~、でもまた会えるかもしれないし・・・その時聞いてみよう。

寮の部屋に戻ろうと思い、外に出ると、さっきの彼がいた。私はさっそく話しかけた。「口座作った?」「うん、なんかよくわかんないけど終わった」そして彼は2人の日本人学生を紹介してくれた。火星人みたいな頭の形をした、ヴォーカルの「タク」、同じくヴォーカルの「けいこさん」、2人とあいさつしたあと、私は気になっていたことを聞いた。「もうお布団買いました?」「僕らはここに来る前、英語学校にいたのでもう持っているんです。」タクとけいこさんはそう言った。しかし2人を紹介してくれた彼は、「俺、持ってない」と言う。それじゃあ一緒に買いに行きましょう、ということになり、私たちは、タク、けいこさんと別れて歩き出した。店は彼が知っていると言う。やっとここで自己紹介をした。彼は「豪くん」といい、専攻楽器はギター、バークリーに来る前はイギリスのMIという音楽学校にいたと言う。(すごいな・・MIか・・・)いきなりすごい人と会ってしまったと焦ったが、豪くんはJAZZはやったことがなく、ここで始めから勉強するつもりだ、と言った。 それを聞いた私は少し安心して、日本では普通の会社員で(1997年当時)、ピアノも教えていて、バンドでの仕事もしていたなどと話した。そのうち店に着いた。店の名前は「ベッド&バス」という。階段を下りると名前の通り、布団やタオル類、それに関する小物などがたくさんあった。「シーツはセミダブルでいいんだよね」彼の部屋は私と同じ寮の6階だそうだ。私は濃いブルーのシーツを手に取った。「俺もこれでいいや」おそろいなのがちょっとヘンな気分だったが同じシーツを1つ買うことにし、次は毛布があるところへ行った。普通の毛布より少し薄手のものがくるくると丸まって売られている。色は原色が多い。(原色は目にキツイしなぁ・・・)私は白黒しましまの落ち着いた色のものを選んだ。もっと涼しくなれば布団が必要だが、今日はこれでいいと思って、レジに並んだ。30ドル弱だった。日本で買うよりはるかに安い。小銭の使い方がわからないので今回も札で払った。豪くんはさすが外国暮らしが長いので、慣れた感じで支払いを済ませていた。「あー、よかった、布団のことが気がかりだったんだ~」もし今日布団を買えなかった時のために寝袋を持ってきているのだ。しかしこれで布団の心配はない。そのうえ一緒に買いに行ってくれた豪くんはなかなかのイケメンであった。「どうもありがとう、助かった」私たちは寮に着くと、エレベーターに乗り、5階で私は降りた。 部屋に戻ると(今日やるべきことは、なんとかすべて終わったなぁ・・・)などとぼんやりしているうちにうとうとしてしまった。


« I Remember Berklee ② | トップページ | I Remember Berklee ④ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1125801/45310099

この記事へのトラックバック一覧です: I Remember Berklee ③:

« I Remember Berklee ② | トップページ | I Remember Berklee ④ »