« 私の英語学習    もう一人のアライ先生 | トップページ | 6月9日(水) 議場コンサート »

私の英語学習  禁断の海外ドラマ

1996年8月に初めて受験したTOEFLのスコアは443であった。200や300ならバークリー行きはあきらめたかもしれない。この微妙な443という数字はつい希望をもってしまう数字であった。マリさんは「まずまずの点数ね。何回も受けて一番いい成績を提出するといいわ」と言った。今はインターネットでも受験できるというTOEFLだが、当時は受験会場も少なく、私は毎回都内に赴いた。試験開始が朝早いときは、前日から会場の近くに宿泊したりと一回の受験料もさながら、それ以外の出費も結構かさんだ。私は始めてのTOEFL以降も、ただもくもくと勉強していたが、現地では当然必要な、「英語で話す」ということに不安を覚えた。それまで私は海外に行ったことがなく、したがって自分が英語を話せるのか、話して通じるのか、相手の言うことがわかるのか・・・などのことが、まったくわからなかった。そしていつまでも考えているより行動した方が早いということで、英会話を習うべく教室を探し始めた。当時はまだ元気な企業だった「NOVA」や「ジオス」など、全国展開のスクールを何校か、市内在住の外国人講師のスクールもいくつか見学した。しかし大体のスクールがチケット制だったり、学費前納制というところがどうしても気に入らなかった。私は月謝制のスクールをひたすら探した。

それはわりと近所にあった。「クレエ・イングリッシュ・ネットワーク」という英会話スクールを見つけた。自宅から、そして宇都宮駅からも近い四階建てのぼろい(失礼)ビルの4階にあった。今でも同じビルに看板が出ているので、同じ場所で元気に存在しているのだと思う。当時の私は直接問い合わせようと、暗いビルの階段を上り、おそるおそる教室のドアを叩いた。「こんにちは!」ぼろく暗いビルには不釣合いな、輝くような笑顔の若い夫婦が迎えてくれた。きっと二人とも私と年齢が近いのだろう。私は留学を考えていることを話し、学習のシステムや費用の説明を受けた。今はどうかわからないがこのときはとても良心的な月謝制だったため、私は即決でこのスクールに通うことを決めた。週一回一時間の授業、先生はオーストラリア人のキャシーという若い女性だった。会話の本を見ると「ネイティヴの会話に触れましょう」などと書いてあることが多いが、私はネイティヴでもカナダ人でもイギリス人でも何人でもよいと思っていた。キャシーはとても体格のよい、そしてくせのある丸文字(もちろん英語)を書く先生であった。誰かが入会すればグループレッスンになると言われたが、幸いいつもほとんど一人でキャシーのレッスンを独り占めできた。後で知ったのだが、このスクールはオープンしたばかりで私は生徒第一号か二号か三号という存在だったらしい。受付の夫婦も当時は生徒が少なく暇だったのかもしれない。衛星放送が見られない私のためにTOEFLの講座を毎回録画したビデオを貸してくれたり、そこで使用する問題集を注文してくれたりいろいろ世話を焼いてくれ、切羽詰って勉強している私にとって、とてもありがたかった。そして「利香さん、海外ドラマを英語モードで見ると会話の勉強になりますよ」と言ってすすめてくれたのが「メルローズプレイス」というドラマだった。これは自分でNHKで見られたが、衛星放送でビデオにとってもらったものを見ていたのか覚えていないが、とにかく私はこのドラマにはまった。アメリカの若い男女が仕事、学業そっちのけで恋愛に明け暮れる話である。いつも揉め事があり、今日この人と付き合っていたかと思うと明日は違う人とやっちゃったりする。友人ともけんかしたり仲直りしたりというめくるめく展開。私ははじめ言われたとおり素直に英語モードで見ていた。しかしやはり日本語でみて細かい内容を知りたい!!と思った私は、ある日ついに「日本語モードで見る」という禁断の行為をしてしまった。私は会話の勉強でなく、ただただドラマを楽しんでしまっていた。「こういう勉強法は私にはむかん!」その後も「フルハウス」「ビバリーヒルズ青春白書」(現在の新シリーズは懐かしいが、見ていない)「アリーマイラブ」などは好きでよく見ていた。

やれるだけの会話の勉強をし、ルイスのTOEFL対策授業を受け、TOEFLではなんとか目標の点数に達することができた。アメリカに経つ前に受付の夫婦とキャシーから「Von Voyage!]と書かれたきれいなカードをもらった。本当にお世話になったなぁ・・と思うとありがたくて涙が出た。カードには「利香さんがカーネギーホールで演奏する日が来るのを楽しみにしてま~す」とも書いてあり、それを読んだとたん重責に涙も乾いてしまったが・・・。

帰国してこのスクールの懇親パーティがあると言うので出かけた。5人くらいで細々とやるのかと思ったら、100人くらい生徒が増えたらしく、知らない若者がたくさんいてびっくりした。この当時英会話を習うことはブームになっていたような気がするが、それにしても極端な変わりようを目の当たりにし、私は浦島太郎のようであった。「いや~あれから生徒が増えちゃって・・」例の夫婦の笑顔は健在だった。いまも二人が元気でスクールを切り盛りしていることを願う私であった。


« 私の英語学習    もう一人のアライ先生 | トップページ | 6月9日(水) 議場コンサート »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1125801/34160841

この記事へのトラックバック一覧です: 私の英語学習  禁断の海外ドラマ:

« 私の英語学習    もう一人のアライ先生 | トップページ | 6月9日(水) 議場コンサート »