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私の英語学習    もう一人のアライ先生

そうだ、忘れてはならない。高校時代の英語の先生も「アライ」先生だった。もっともアライ違いの「新井」先生だが・・・。やはり女性の先生。タイコさん似の「荒井先生」と違ってこちらの新井先生は、あっ、サザエさんにそっくりだった(髪型も)。二人とも「サザエさん」の登場人物に似ていると思うあたりが、私の発想の貧困なところなのだが、新井サザエ先生は、日々力が有り余っている高校生を相手にしているせいか、とにかく元気でいつも廊下をガニまたでガニガニと歩いていた。授業中もパワフル、指名して、私たちが答えに詰まっても、「はい、次!はい、次!」変な意訳をしても「気持ちはわかるね、気持ちはわかるね」と連呼し「はい、次!はい、次!」と1時間に全員を指名するかのような勢いであった。私の通っていた高校は英語学習に力を入れている、(と言われている)学校だったため、他の公立高校より多く英語の授業があった。その上、学校外での私は「鋼鉄の少女」のところにも書いたとおり、筋金入りのハードロッカー(ヴォーカリスト)だったため、英語で絶叫しながら歌わなければならず、そのため英語の授業は真面目に受けていた。英語以外の授業では、バンドで自分が歌う歌の歌詞を和訳していた。それは「悪魔が降りてきたぜ!」とか「オマエの××××を○○○○してやるぜ!」とか、スラングだらけのあまりお上品でない内容だったため、学校指定の辞書「ユニオン英和辞典を使っての和訳にいまひとつ自信が持てなかった。高校時代はいつも回りに英語があったがこれをさらに専門的に大学で勉強したいと言う気持ちは全然なかった。

高校を卒業し、音楽の専門学校に通っているときも、英語の授業は一時間だけあった。講師はスコット・ドラムヘラー先生。「迷い道」のところにも書いたが、この学校にはあまり真面目な生徒はいなかったので、ほとんどの生徒は授業を全然聞いていなかった。ドラムヘラー氏はそんな彼女らにむっとしているように見えた。しかし私を含む数人は、教室の最前列に席を取り、ガイジンと接することができるということで、熱心に授業をうけた。ドラムヘラー氏はそんな私たちを「Nice Girls!!」と呼び、Nice Girlsに向けて授業をしてくれた。

この後10年経ってからまた英語を勉強することになるとは思っていなかった。若く愚かな私は勉強することの重要さなどこのときは全然わかっていなかった。卒業すれば勉強から開放されると、無邪気に喜んでいた。社会に出てから、この頃の愚かさを何度か悔やむことがある。

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2月27日(土)上野楽器西ミュージックセンター

大人のための教室ミニコンサート

張 暁東(二胡)

松本寿美子(Fl)

演奏を長年しているが、たまにはっきり批判されるときがある。2003年に二胡の生徒の発表会の伴奏を担当したとき、一人の生徒の御主人らしき日本人でないアジア人の男性に、面と向かって批判された。伴奏譜がほとんどないと言うので、自分で数字譜をみて作り、講師演奏でやるという中国の曲はテープから譜面をおこし、50曲近く伴奏、生徒達らしいさまざまな音程でキーキーと奏でられる演奏を聴いていたら、終わる頃には具合が悪くなりそうになった。その上自分としては上手くいったと思っていたのに批判され、当時の私はもう二度と二胡の伴奏はやるまい、と心に決めた。いまもこうして書いてしまうということは、いまだに傷が残っているのだろう・・・。私は結構根に持つタイプである。そして自分の生徒には「伴奏者には常に感謝の気持ちを持つように」と言っている。

2003年の悲劇から7年、今回も私の嫌な予感はあたり、張先生は今回も「コノキョクトテモキレイデス。ヤリタイデス。バンソウフハアリマセン」と言うセリフを連発した。「この忙しいのに伴奏譜を作ったり、なんどもリハを必要とするようなことはせず、一回だけのミニコンサートなのだから、ぱっとできる曲をやろう。」と何度も言っても張先生は「コノキョクヤリタイデス、トテモイイデスヨ」と言う。そのうち私は気付いた。張先生には私の日本語が通じていないのだ、と・・・。「このクソ忙しいのに伴奏譜なんか作ってられないいんだよね~」と私はわれながら乱暴な言い方で申し訳ないと思いつつ、何度もはっきり言ったが、そういう旨のことを訴えたいときは「ワタシ、イソガシイ、バンソウフ、ツクレマセン」と言わなければ張先生には通じないのだ。どうりでわたしがいくら文句をいっても張先生からは何の言葉も無いわけだ。ランゲージバリアが生む悲劇もあれば、私達のようにランゲージバリアがあるゆえに、対立が起こらない場合もあるのだ。これに気付いた私は文句を言うのが馬鹿らしくなってきたのでやめ、今回も頑張って数字譜を見たりCDを聴きながら伴奏譜をつくった。ジャズはソロを回したりソロを短くしたりして時間をコントロールできるが、それ以外のジャンルは、譜読みや練習が大変な割には2分ぐらいで終わってしまうアレンジの曲が多く、労力の割には報われない感じがして、あぁやっぱりジャズって自由でいいなぁ・・と思ってしまった。

イマイチの出来のリハを何回も重ねたが、以外に本番は、ノーミスの上出来であった。「トテモ、タノシカッタデス、」張先生は言った。わたしもあんなに怒った割には、演奏中はとても楽しかった。フルートの松本先生は私と張先生のあわや日清戦争勃発か、というやりとりをいつも黙って聞いていた。きっと心の中で「こ、こわい・・・」と思っていたかも・・・。彼女こそもう二度とやりたくない、と思っていたら申し訳ありません!

しかしこの丁々発止の状態がまわりに伝わったのだろうか、いまだに西ミュージックセンターへの新入会の申し込みはない。二人の先生はどうだろうか、会ったら聞いてみたい。

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当日は上野楽器の桜本氏もパーカッションで参加してくれ、私と「I Got Rhythm」を演奏しました。

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