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転落      ピアノとの別れ

ある日、私と弟は両親に呼ばれた。父親が仕事で失敗し、会社が倒産し、損失を埋めるため、家を売ることになった。とのことだった。私にとっても弟にとっても寝耳に水という感じで、我が家がそんな大変なことになっているとはにわかに信じがたかった。しかし私は以前父親から仕事の計画らしきものをなんとなく聞いていた。が賛成しがたいことだったので「やめたほうがいい」と言っていた。そのことを思い出し、父は私の言うことを聞かず、このような事態になったのだと認識した。そう思ったとたん急に怒りがこみ上げてきた。「どうして私の言うことを聞かなかったのだ。女だと思ってなめてたのか」このようなことを父に向かって言い、責めた。私と違って心優しい弟は、何も知らなかったので「どうしてもっと早く言ってくれなかったのだ」と言って泣いていた。弟は高校卒業後、その名前を知らない人はいないだろう大手企業に入社し、頑張って働いていた。そして当時付き合っていた彼女(今の奥さん)と一緒に暮らすため実家を出る準備をしているところだった。堅実で真面目な弟は、結婚の準備、自分の人生計画をきっちりしていたようだった。それに引き換え、私は転職続きの末、やっと仕事を見つけたばかりで人生設計など考える余裕はなく、怒るときだけ一人前という、情けないだめ姉なのであった。そんな私たちに母親は「お父さんを助けるため持ってるお金を全部出しなさい」と言った。私は200万円しかなかった。父は「利香ちゃん、それしかないのか」とがっかりしていた。それを言われて私はまたムカッときた。弟は私の倍くらいある額を何のためらいもないような感じで出した。弟がかわいそうなのと、自分のだめさに、また頭にきた。母はさらにピアノを手放すように言った。「もうのんきにピアノなんか弾いてる場合じゃないからね、一生懸命働きなさい」そして家族会議の結果、弟はとりあえず彼女と一緒に暮らすことにし、私と母親は一緒にどこかに家を借りて暮らすことに決めた。私は父親を許せなかったので、出て行ってくれといった。家を手放すまでの間、父は毎日どこかに出かけて行った。方々に頭を下げに行っているらしかった。母は「お父さんは自殺してしまうかもしれない」と心配していた。

両親は私と母が住むための家を探しにいっていたが、保証人が見つからなく困っていた。これまで父は親戚のいろいろな人の保証人になってあげていた。それなのに私たちの保証人になってくれようとする人は誰もいなかった。皆、自分だけがかわいいのだ。と私はこのとき痛感した。最終的には、○○省OBの父のおじが現役でない上、かなりの高齢だったがそれでもいい、ということでやっと家を借りることができた。

私のピアノは、高校時代、一緒に「ZEPHER」というバンドをやっていたギタリストのM君がトラックで引き取りにきてくれた。彼は大工になっていたので、友人と二人で軽々とピアノを持ち上げた。そして「赤札差し押さえか・・・。大変だな」と言って去って行った。

夜逃げではなかったが、いきなり引越し作業を始めた私たちを、近所の人たちはおかしいと思っただろう。引越し業者に頼む余裕はないので、父が実家から軽トラを借りてきた。唯一手伝いに来てくれたのは、母と一番年が近い姉、私のおば一人だった。おばは大きな声で「今に笑って思い出せる日が来るよ」と言った。「姉ちゃん、大きい声でそんなこと言わないで」母は近所の人に聞かれるのを嫌がっていた。私は「笑って思い出せる日なんて来ないだろう。私の人生はもう終わった」と思った。

JAZZのレコードはみなゴミ捨て場に捨てた。20年以上過ごしたこの家を、こんな形で去ることになるとは思わなかった。暗くなるまで思いっきり遊んだ子供時代を思い出した。「これからどうなってしまうのだろう」悪夢の中にいるような感覚だったが、これが現実だった。そして約束の日が来て、私たち家族四人、それぞれ自分の行く方向に散っていった。


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