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迷い道 ⑥ 史上最強のナイスメイト

結局、バークリーに留学するまでの7年間、能開センターに勤務した。入社して2、3年する頃にはかなり仕事に慣れ、事務の仕事を心から楽しいと思えるようになっていった。私は主に生徒の成績管理の担当を任され、テストの点数をコンピューターに入力、生徒個別の成績表を出したり、順位表を出して掲示してもらったり、入試が終わった際は誰がどこの学校に合格して、どこに進学したかなどの調査などをしていた。この仕事は「○○高校に○人合格!」などど張り出す際に関係してくる、重要な仕事と認識していた。他にはお客さんが来たり、社員の会議があればお茶汲みもし、コピー取り、それとテスト問題や配布物の印刷などやることは山ほどあった。それらの合間にも父兄からの電話や、来校にも応対する。進学、進級が一段落して落ち着く5月以外は、いつも忙しかった。

はじめは怖いと感じた鈴木さんは、とても頼りがいがあって優しく、私を信じていろいろ任せてくれた。休みの日はテニスをしたり、温泉にいったりもした。星野さんとも共通の話題が多く、楽しく仕事をした。意地悪だった高松さんもだんだん協力し合えるようになり、そのうち彼女は結婚して栃木を離れていった。後輩になる新しいナイスメイトも何人か入ると、私は彼女らに、仕事を教えたり、新規採用の面接の際には社員と一緒に出かけたり、新しい校ができる際はそこに出向いて、落ち着くまで校が必要なものをそろえたり、一人で事務の仕事や生徒募集の受付をしたりもした。

「お茶汲み、コピー取りなんてつまらない。もっとやりがいのある仕事がしたい・・。」当時よく読んでいたビジネス系の雑誌には、女性の仕事に対する悩みとして、よくこのようなことが書いてあった。しかし私はまずこれらの仕事をきちんとやることが、仕事の原点であると思う。鈴木さんは大先輩なのに、私が根をつめていそうなときはそれを察知してお茶を入れてくれた。しかも緑茶は超濃く、珈琲はミルクたっぷりの超甘、という私の好み通りのものであった。仕事ができる人のいれたお茶はおいしいのである。

今は全然違う業界にいるが、仕事の仕方や仕事に対する姿勢はここ能開センターで学んだと思っている。

仕事もなんとか落ち着き、続けていけそうであった。週に一度はピアノ講師の仕事もし、夜は週に数日ラウンジでピアノを弾く仕事もしていた。バンドはスィングストーンのダンスの仕事も多く、また後述するが「クレストフォー」に加入したのもこの頃だった。

一見充実した若者らしい毎日を送っていたようだったが、実家にいて生活は親がかり、自分の力で生きているわけではなかった。でも家を出る勇気はない。もっと自分でつかんだ何かがほしいと思っていた。

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OLらしくいろいろなところに旅行に行った。これは鎌倉にて。隣にいるのは鈴木さん。

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初期のクレストフォー。都内赤坂東急Hにて。まだメンバーが固まっていない頃だと思う。SAXはもちろん故山本安則氏。


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