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クレストフォー 回顧録

思えば昨日8月12日は、故山本安則氏の命日であった。そんなときに意図せずたまたまクレストフォーについて書こうとしている。氏が「思い出せ」というメッセージを送っているのだろうか。

確かオリジナルメンバーになって10年を迎えたあたりで、山本氏は亡くなり、クレストも無くなったのではないかと思う。そもそもジャズコンボの世界では、バンドで活動するというよりも、言葉は悪いが「寄せ集め」で、そのときそのときの演奏を楽しむ。というミュージシャンが多いだろう。また普通ジャズをやり始めると、まずジャムセッションに通って腕を磨く、というのが一般的だと思うのだが、私はいきなりバンド活動からはじめた。ビッグバンドの仕事で知り合いになった山本氏に誘われ、クレストに加入すると、氏が取ってきたレストランでのライブやパーティでの演奏をやりながら、ジャズでよくやる曲はこんな曲なのだということや、テーマからソロを回し、またテーマに戻るといった演奏の仕方も理解していった。弾けないのにいきなり仕事をしてしまうというのもずうずうしいような気がするのだが、今思うと、クレストに加入し演奏活動できたことはとてもラッキーだった。県内はもちろん、県外にも出かけていった。暑いとき寒いときの戸外での演奏、虫がたくさん飛んでる中でも演奏、披露宴はもちろん、葬儀場のオープンのときに祭壇のあるホールでも演奏した。ついには山本氏の葬儀でも読経中以外はすべてJAZZ演奏に終始した。これまでやった演奏のたくさんの写真、録音、映像が残っている。

私は2002年に音楽家として独立した。それまでは会社員などとして仕事をしながら、ほそぼそと、時に途切れながら音楽活動をしており、バンドはクレスト以外は全然やっておらず、他のジャズメンと演奏することはほとんどなく、知り合いもいなかった。しかし独立してからは自然といろいろなところに出て行くようになった。まず、B-STYLEでの活動が始まった。そしてアーティスティック・ジャズ・ワークショップへの加入。山本氏は「似たような編成のバンドを掛け持ちするな」「クレストの演奏だけに集中しろ」「あまりいろいろなところにですぎると価値が下がる」などと私の演奏活動に対して批判したが、私は音楽で生活しなくてはいけないので、活動を限定させることはできない。と聞く耳をもたなかった。この頃から多少氏とぎくしゃくするようになった。わけもなく人前で怒鳴られたりもした。しかし私は感情を表に出すこともなく、演奏だけに集中しようとした。

そのうち氏の病気が発覚した。はじめは信じられず、何かの間違いではないか、他人のカルテなのではないかと何度も言った。しかし氏は自覚症状はないが、あまり良くないのだ。と言った。手術をし、すぐ復帰したときは早期発見が功を奏したのだと、ほっとしたが、また悪くなり、結局発覚から1年で亡くなってしまった。いまだに病気だったことが信じられないのだ。演奏中に倒れ、救急車で運ばれていったときでも、「またすぐ治るだろう」と本当にそう思っていた。

「クレストを頼む・・・」他のメンバーに氏はこういい残したと言う。しかし私はリーダーを失ったバンドの存続は不可能だと思った。氏の死後2年たった今でもいろいろな人に聞かれるが、もう「クレストフォー」で活動することは、少なくとも私としてはない。

10年もひとつのバンドが続いたことはすばらしいことだ。そんなバンドにかかわれてよかったと思う。そして私はこの世のものが無常である。ということがわかりかけてきたのだ。

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2005年12月、今市市の「珈茶話」にて。「クレストフォー」のライブをいつも聴きに来てくれた方、応援してくれた方、新旧メンバーの方々、本当にありがとうございました。


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