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ジャズスクール荒らし「リカ」

「ジャズは習うものではない。ひたすら自分でやるものだ」と思っても、この情報あふれる現代、この考えは正しいことは正しいと思うし、今もこのように言う人もいるが、やや合理的ではない。この「合理的」をマイナスイメージでとらえる人もいるからややこしいが、まぁどちらもひとつの考え方だろう。

板さんのハイレベルなレッスンは私には100年早い。と思い、もっとフツー?なジャズスクールを探そうとして、音楽雑誌を片っ端から見た。県内ではなく、能開センターの定休日、月曜日に都内まで通うつもりで探した。結果、新宿南口から徒歩5分ほどでいける「ミュージックスクールW○○○」に決めた。毎週通ったか、隔週だったかは忘れた。先生はエレクトーンデモンストレイターのM先生である。

これは私の150%偏見ということでお許しいただきたいのだが、私はエレクトーン奏者にジャズは教えてもらいたくなかった。M先生はエレクトーンの世界では有名なのかもしれないが、私はピアニストに教えてもらいたかった。そんなわけで、いざ習い始まっても、あまり楽しくなかった。このスクールはたぶんすぐやめてしまったと思う。ジャズは基本的に8分音符のウラにアクセントをつけ、はずみ控えめに弾く、このことを習ったことだけは記憶している。

次に見つけたのは私のプロフィールにも載っている「メイト音楽院」だった。都内に3校あって私は小岩校を選んだ。実技と理論と一週づつ交互にやるらしいのだが、私は地方在住のため、一日で実技も理論もやり、隔週通うことにした。先生はH氏、忙しいのか寝坊なのか14時からのレッスンによく遅刻してきたが、教え方は真面目だったと思う。しかしこのとき教えてもらった理論は難しくて理解できなかった。私がお馬鹿さんだったのだろうか?この音楽院はいろいろなコースがあり、私は、一般の習い事コースだったが「バークリー留学準備コース」のようなものもあった。そのときは、まさか後に自分がバークリーに行くことになるとは全然思っていなかったので「留学か~、なんか大変そうなコースだなぁ・・。」という程度の認識で黙々と普通のコースに通っていた。インプロビゼーションも相変わらずどうやっていいかわからず、「スィングジャーナル」や「JAZZLIFE]を読んで「名盤!」「おすすめアルバム」などと書いてあるものを、金銭的に余裕があれば買い、借りて済まそうと思えばレンタル屋で借りてきて聴き、CDと同じ曲を弾いてみて、なんとなくCDと似たように弾いているような気になる・・という非常にファジーな練習方法しか自分にはなかった」。しかしH氏は「そんな感じでよい」という。レッスンは「テキトー男」高田淳次がテキトーにピアノを弾き、「無責任」な植木等が無責任なコメントをする。というような感じで進んでいった。しかし「メイト音楽院」はバークリーシステムを日本語にしてやっているので、教材などもしっかりしたものであった。まぁ、これはあとから知ったことではあるが・・・。

JAZZを聴くのも、自己流というか、たとえば「イーディー・ゴーメ」の「’Round Midnight」を聴き。「いい曲(歌)だなぁ・・・」と感動したあと、その作曲が「セロニアス・モンク」だと知ってモンクのレコードを買って聴くのだが、同じ「’Round Midnight]を聴いてもあまりいい演奏には聴こえず、「どうして自分の曲なのに、他の人が歌った方がよ良く聴こえるのだろう?」と、はじめのうちは自分がどういう演奏を好きなのかもわからなかったが、だんだん好みも確立してきて人にも「こんなプレイヤーが好き」といえるようになっていった。

「ジャズスクール荒らし」といってもこんなものである。メイト音楽院は一年ほど通ったが、家の都合で突如、行けなくなり、やめた。そんな自分のことを考えると、長く続けてくれている生徒たちの存在ははありがたいなぁ・・と思うと同時に「みんな偉いなぁ・・」と感心する。私はそんな大事な生徒たちが楽しく、そして上手くなるように常にいいレッスンをしたいと思うのだ。

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迷い道 ⑤ 受付事務を極める!の巻

また時間の経過がわからなくなったので、年金手帳を見る。幸い私の年金手帳には記録もれはない。結局、幼児教室には一年ほどしかいなっかたらしい。

ピアノを教えるようになってから、私は再び転職した。新講師の私には週一回木曜のレッスンしかなく、他に仕事をせざるをえなかった。

次に選んだ職場は「能開センター」という学習塾だった。今もチラシなどを見るが、新しいビルができて拡張されたりと、ますます発展している元気な学習塾である。仕事の内容は、入会手続きの案内や、授業やテストに関する準備、掲示物の作成、イベントの際の受付、などである。職場には、授業、担任も受け持ち、他にさまざまな企画をする、社員。授業だけするアルバイトの講師。(大学生も、社会人もいた)そして私たち受付事務担当の女性。この三角形で成り立っていて、当時私たち女性はなぜか「ナイスメイト」と呼ばれていた。

ナイスメイトは五人くらいいたと思う。採用されたばかりの私はその長らしき女性に「テストがあるので、問題用紙、解答用紙をクラスごとに分けてほしい」と言われた。ただ人数分数えるだけか・・・。一見簡単な仕事のように思えるがそれが上手くできなかった。40人のクラスで国語の問題が3枚あるとき、1枚目は40枚、2枚目は42枚、3枚目は39枚分けてしまうと数がばらばらになり、足りない。とか多すぎる。ということが発生する。はじめのうちは指サックをつけて数えてもなかなか正確にできなかった。「問題が足りない!!」と言いながら教室から駆けてくる先生がいると、申し訳なくて心が痛んだ。郵送物に切手を貼れと言われて貼ると「切手は郵便番号の近くに貼るものだ」と注意されたり、お客さんへのお茶だしも失礼があったらでどうしようと、いつも緊張した。そしてもっともいやだったのが電話応対である。電話は毎日たくさんかかってきて、主に入会問い合わせの電話が多いのだが、まず自分がシステムをよく理解していないと、わかってもらえない。何度も「少々お待ちください」といって相手を待たせて、他のナイスメイトや、社員に聞いたり・・・。しかし新人はたとえわからなくても率先して電話に出ろ。と言われていたので、かならず3回コール以内で出ていた。

他のナイスメイトも「ナイス」というわりには曲者が揃っていた。まず一番偉い、というかリーダー格の鈴木さん、男性社員も一目置く厳しい感じで、慣れるまでは怖かった。しかし仕事は常に正確で、私はひそかに目標にしていた。経理の星野さんは遇然私の高校時代の友人の母上だった。表向きは親切だが、おばさんにありがちな、人のことをあれこれ詮索、噂話好き、人の足を引っ張り、なおかついい年をして上司にこびるという油断のできない人物だった。高松さんは私とさほど変わらない年であったが、切れ長の目で人をちらっとみる感じがいやで、やはり新人の私に対しては意地悪であった。唯一心を許せる感じだったのが、私の次に新しいナイスメイトの片岡さん、いつもミニスカートを履き、お色気のあるタイプ。他のナイスメイトとは違う雰囲気なので、やはり鈴木さんや高松さんからは良く思われていないようだった。

「辛いのは慣れるまでだ」そう言い聞かせて、鈴木さんに叱られても、高松さんに意地悪されても私は黙々と仕事をした。仕事自体は楽しかったのだ。はじめはできなかったこともだんだん正確にできるようになっていった。そして男性社員は私と年齢が近い人が多く、彼らはとても親切で、少しづつ仕事を任せてくれるようになった。「3日続いたら、3か月目指して、最低3年続けるのが目標」と思いながらなんとか社会人らしくなっていった。

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う~んなんか顔と首の色が違うなぁ・・・。現在は東武駅前に立派なビルがあるが、これはそこに引っ越す前の県庁前ビルでの一枚。ジーンズなどでなければ普段着っぽい服装でもOKの職場だったが、「キャリアウーマン志向」の私は常にスーツであった。美しい笑顔で、少し仕事に慣れてきた頃なのか?

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7月4日(土) 薬師祭 真岡般若寺

          大島美知恵(FL)

私の父親の実家の野中家は神道の系統である。叔父は神主で私や私のいとこたちは皆、叔父から名前をつけてもらった。残念なことに20年前に他界してしまったが、叔父の裃(かみしも)姿は今でも覚えている。存命なら80代半ばだろう。

恥ずかしながら、日本人の大半は仏教徒だと大人になってから気付いた。仏式の葬儀に出席したとき、焼香の仕方がわからず「なんだこの粉は」と思った。そんな私だが、ここ真岡般若時の住職とはもう10年近い知り合いである。毎年七夕の時期に開催される薬師祭での演奏は今年で五回目。童謡、子供向けの曲、名曲と思われる曲などを選んで演奏している。時期が夏なので夏の童謡などは定番化しているが、他の曲は毎年すこしづつマイナーチェンジして、ワンパターンにならないようにしている。今回は住職の好きな曲S.E.N.Sの「やさしさの選択」。小田和正の「言葉にできない」を演目に加えた。同日、他のどこかのお寺でもお祭りがあり、生演奏もあるらしく、「むこうはピアノとソプラノ(歌)なんです」と住職は鼻の穴の膨らませて言った。(対抗しようとしているのだろうか)私に心中を読まれるようでは、まだまだ彼も修行がたりないなぁ・・・。(失礼)

梅雨時ゆえ毎年天気が心配されるが、今年は降っていた小雨が、お祭りが始まると同時に止んだ。境内の前にも例年通り、たくさんの人に集っていただいた。忙しく走り回っていた住職の耳に「やさしさの選択」「言葉にできない」は届いただろうか?もしかして聴いていなかったかもしれない。でも、この皆にあまりなじみがないであろう「やさしさの選択」に対する拍手が一番多かったような気がする。聴きなれた他の曲の中で新鮮に聴こえたのだと思った。来年以降も常に新しいものを加えていこう。

私に留学をすすめたLOMインターナショナルのマリさんは、西洋占星術にも造詣が深く、私の渡米前に心配していろいろ占ってくれた。その時「宗教に関する仕事をするとよい」と言った。私は「宗教?まるで自分に関係ないね」と思ったが、ある時、教会式や葬儀での演奏が「宗教」に関る仕事なのだと理解した。ここお寺の境内での演奏のそれにつながるものかもしれない。

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毎年写真も撮っているが、いつも暗くなってしまう。私たちの後ろには立派な祭壇があるのだが見えなくて残念・・。

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