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迷い道 ② 営業ウーマンの巻

ここからの私の就職人生は山あり谷あり、というか谷あり谷ありである。就職したのはいつだろう・・・。年金手帳を見てみる。平成元年である。当時はバブル後期だろうか。今のような就職氷河期などという言葉はなく、さほど優秀な学生でなくても一人に対して2、3の就職候補先があったように思う。私は全国組織のある会社に入社した。その会社は多少形を変えているが、現在も市内に支社が存在していると思う。四月からの仕事に向けて三月末、研修があった。「社会人とは、仕事とは・・。」実務的なものに対する研修というよりは、かなり抽象的な内容だったと思う。支社長は日経新聞の記者あがりだという。残念ながら名前は覚えていない。酒好きの人にありがちな赤黒い顔をしていてとにかく怖かった。嫌いではなかったが油断できない感じであった。その研修で、私たちは「自由とはどういうことか」「平等とはどういうことか」答えろといわれた。簡単そうだが、いざ答えるとなるとなかなか難しい。主に仕事において、ということだが、前者は、自分の経済力、責任下において自立して生きられることであり、後者は給料面で、頑張った人と、そうでない人に差をつけることである。と叩き込まれた。今でもこの解釈を思い出すことがある。新入社員は10人くらいいただろうか。しかし辛い営業職のため皆次々と辞めていった。同期で仲良くなった、笹島、吉田、篠原とは苗字の呼び捨てで呼び合い、いつも仕事が終わると駅前のドーナツ屋で愚痴をこぼした。週末はよく飲みに行った。夜中まで遊ぶこともあり、心配した吉田の両親が警察に捜索願いを出し、それが発令される前に偶然帰り、びっくりされたこともあった。私たちは皆、背が高く、骨太な、暑苦しいタイプだった。男性から見ると目障りな存在だっただろう。飲みに行って大声で騒いでいると、よく「うるせーなー」と嫌がられた。

はじめに篠原が辞めた。次に私が辞めた。3か月しかもたなかった。その後、吉田が辞め、笹島は一年ほどいたように思う。家ではもうピアノはもう弾くことはなかった。が、支社長からJAZZのLPを借りたことを記憶している。誰のなんというLPかは不明だ。この頃私はJAZZなど聴いていたのだろうか・・・。わからない。JAZZを聴く、などという話を、支社長にしたのだろうか・・・。覚えていない。辞めるときに「レコード返せ」と言われ、引き出しを開けたらレコードが引っかかってひん曲がり、焦ったのを思い出した。私はこの就職に反対だった母親に「それ見たことか」と言われ、口論になった。そして次の仕事を探すべく、泣きながら職安に通った。

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退職してから4人で行った、塩原グリーンビレッジにて。仕事もせずに一人前に遊んでいるなんて!、今の私には信じがたい。パンツが見えていても色気ゼロの悲しい写真である。笹島は鈴木になり、御主人と3人の子とともに愛知に、吉田は居上になり御主人と二人の女の子とともに佐野に、篠原は藤原になり詳細は不明だが、たぶん黒磯にいる。藤原の結婚式の時、「それじゃあ次は野中の結婚式で会おうね」と言って別れた。


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