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迷い道 ①

前回までの「Licca's House」は比較的明るい少女時代を書いたが、これ以降は笑える内容ではない。高校卒業後は暗黒の時代に突入するのだ。そしてそれは15年ほど続く。

高校時代は、今後大学などに進学する気はなかった。もう勉強はたくさんだと思っていた。愚か者である。かといっていきなり就職するのも怖いような気がしていた。父親は何も言わなかった。母親は「200万ぐらいあげるから、家を出て自分で生きていきなさい」などと言った。私は口は一人前だったが、本当にどうしていいかわからなかった。結局、卒業間近になって、母親が県南にできた音楽の専門学校を見つけてきて、私は言われるままそこに入学した。高校1年でやめてしまったピアノをまた始めたわけだ。新しい学校なので、学生は私たち一年生だけであった。40人ほどいたか・・・。どんな風にしてこの学校を見つけたのか、県内はもちろん、北海道、名古屋、広島etc・・・出身の学生がいた。ほとんどがしょうがなくてきた、というようなやる気のない者がほとんどだった。しかし講師陣は優秀だった。(と思う)私はクラシックではないいわゆるポピュラーピアノ科でピアノの先生はCMや劇伴などで活躍しているT女史だった。某有名スポーツメーカーのCMソングを流し「これ、私が作ったのよ」などと言い、田舎者の私たちは「すごいなぁ・・・」と感心していた。今でもT先生の曲が「○室アルバム」などいろいろなテレビ番組の後ろに流れているのを耳にすることがある。他にコード進行や、シンセサイザーの操作、リトミック、外国人講師による英語の授業もあった。まわりには「ホストの男とHしたら病気うつされた~」といいながら薬を飲んでいる友達もいたが、私は彼女らの影響を受けぬようひたすら「和して同せず」の姿勢を貫き、真面目に授業を受け、ピアノも練習した。しようもない学校でも、優秀であれば先生たちは目をかけてくれる。私はガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」を弾いて、新聞の「地域の素敵な女性」のようなコーナーに載せてもらったり、大物作曲家HK氏の公開レッスンを受けられたりと結構楽しいこともあった。しかしいざ就職の段階になると。私はまた悩んだ。ほとんどの同級生が何の疑いもなくピアノの先生になるようなのだが、あまり稼げそうもない仕事のように思えた。ピアノの先生というのは蝶よ、花よと育てられた、家計など気にしなくても済むお嬢様がなる職業であり、なんか格好悪いなぁ~。もっとバリバリ働きたいなぁ~。と当時の私は生意気にもそのように考えていた。そして一般企業に就職することにした。高校時代にやめたピアノを再び始めたのだが、就職と同時にまた音楽から離れた。

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自宅の庭で、20歳くらいのときである。当時は長いソバージュヘアが主流で私もぼわぼわ頭であった。


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