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ソフトボール

果たして私は中学生になった。古里(ふるさと)中という名前の中学校である。マーケットネットワークの目黒さんは私と同い年なのだが、「え~!野中さん{ヘル中}なの~?」ヘル中、ヘル中と私をからかう。ヘルメットをかぶって自転車通学するからだそうである。田舎のため広範囲から生徒が通うのでほとんどの生徒が自転車に乗るのである。私は最近までどの中学校でもヘルメットをかぶるのかと思っていた。好きな先輩が卒業する時は第二ボタンではなくヘルメットをもらう、という習慣もあった。

「中学生になって部活動をやると内申書がよくなる」と言った友達がいた。「ナイシンショって?」何のことかわからなかったが、とにかく部活動をするといいらしい、と悟った私は、友人に誘われるままソフトボール部に入部してしまった。この部は新設された部のため、部員は一年生の私たちしかおらず、ほかの部のような厳しい上下関係もないという点がいいのだと友人は言った。小学校のとき多少ソフトボールの経験はあったが、試合で打席に立ちボールを打とうとしてバットを振ったら、そのバットが手からすっぽ抜け、キャッチャーの子を直撃してしまったことがあった。その子はかなり苦しんでいたが大事に至らず、問題にもならず安心した。打ち所が悪かったら大変なことになっていたと思う。このことが頭をよぎったが、もう後には引けなかった。すぐ部活をやめようものならその「ナイシンショ」に悪く影響してしまうと思ったからである。

グローブを買ってもらい、部活動が始まった。練習は放課後毎日、土曜の午後、日曜も練習があり、時には他校に練習試合にも行った。監督は数学のO先生である。みんなの守備位置は先生が決めてくれた。私はセンターだった。先生によると足が速いからだそうである。私は常にレギュラー選手ではあったが試合中の成績はあまりよくなかった。小学校から本格的にやってる子は全然レベルが違うのである。ばかばか打って、守備も確実だ。私は本番に弱いのか、いつも打撃は振るわず、しかも外野のくせにノーコントロールの傾向があった。「どこ投げてんだー!」といつも怒られていた。外野は長打で抜かれてしまうと、ボールをとりにいくのがたいへんなのである。スタジアムのように客席があれば跳ね返ってくるが、田舎の広ーい校庭だとどこまでも追っていかなければいけないのである。そんなパニック状態でなんとかボールを拾い、振り返って投げるととんでもない方に飛んで行ったりした。

中学の三年間、ピアノは二の次、三の次という状態であった。部活があるためレッスンは日曜の午後にしてもらった。K楽器のシステムなのか、4月になるといつの間にか先生が変わっていることがあった。せっかく慣れてもまた先生が変わる。その上私は未熟なソフトボール選手のため、つき指していることが多く、シップを貼った汚い指でピアノを弾いて叱られることもよくあり、思うような演奏もできなかった。泣きそうになりながら弾くこともあった。しかしピアノをやめることはなかった。やめようと考える余裕すらなかった。

部活の練習は厳しかったが、部員同士はとても仲がよかった。つらい練習なので仲良くないと乗り越えていけないのだ。ソフトボール部員の間でけんかするものもいなかった。練習のない日は部員で電車に乗って、「宇都宮」に遊びに行くのが楽しみだった。叱られても叱られても私たちは純粋に白球を追った。この時期培ったのは「根性」だった。

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向かって右から二番目に立っているのが私。笑っているが「レギュラーでなく補欠がいい」といつも思っていた。試合を見てるだけならストレスがないのだが・・・。選手は大変なのである。


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