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鋼鉄の少女

無事、高校受験も終わり、私は高校生になった。高校は共学で自宅から近く、中学時代と同様、自転車で通え、しかも15分で行けた。合格祝いに当時ちらほら出回りだしたデジタルシンセサイザーを買ってもらった。20万くらいしたと思う。私がほしいと言ったのだろうか?このあたりのことは覚えていない。私の両親にしては太っ腹だったと思う。

小学校高学年時から「ニューミュージック」を好んで聴いていたため、なんとなくバンドをやりたいと思っていた。中学時代はソフトボール一辺倒だったが、もう運動部に入る気はなかった。ピアノを弾き、最先端のシンセサイザーを所有しているという理由で、隣のクラスの男の子に誘われロックバンドに加入することになり「こういう曲をやるから聴いておいてくれ」と渡されたカセットテープに入っていた音楽、私とハードロックの運命的な出会いだった。

朝はハードロックとともに目覚め、身支度、学校では授業中、英語の歌詞を和訳、帰宅してからもとにかくいつもハードロックを聴いていた。土曜日はバンドの練習、交通手段は自転車しかないので、シンセをかごの上に乗せ、よたよたと田んぼ道を走った。みんなで少ないお小遣いから500円ずつ出し合い、「新○堂」や「キーボード・○ヤ」で練習に励んだ。他校の学園祭に出たりもした。自分は一生、こういう音楽を聴いていくのだ、と思っていた。

この年代の子供は扱いにくいと思う。自分は何者でもないくせにどこかで仕入れた受け売りの反抗的な言葉を発し、振舞う。私もこの時期はだんだんとんがった性格になっていった。別に不良というわけではなかったし、勉強もそれなりにしていたが、自分はこれからどうなっていくのか、ちゃんと大人になれるのかという不安が常にあった。私は本を読むことも好きだった。読書家でなにかと文学的な物言いをする友人と本を読んでは語り合った。

高校受験時もピアノはやめなかったが、高校1年の終わりについにやめた。私はロックするのだ、といきがっていた。

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これは悪魔である。高校三年のときらしい。「ZEPHYR」というバンドのライブでの一枚。会場にはメイクさんがいて、彼女の手によってこのような顔になった。これを見るとホント、大人になってよかったと思う。もうこの時代に戻らなくていい。

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ソフトボール

果たして私は中学生になった。古里(ふるさと)中という名前の中学校である。マーケットネットワークの目黒さんは私と同い年なのだが、「え~!野中さん{ヘル中}なの~?」ヘル中、ヘル中と私をからかう。ヘルメットをかぶって自転車通学するからだそうである。田舎のため広範囲から生徒が通うのでほとんどの生徒が自転車に乗るのである。私は最近までどの中学校でもヘルメットをかぶるのかと思っていた。好きな先輩が卒業する時は第二ボタンではなくヘルメットをもらう、という習慣もあった。

「中学生になって部活動をやると内申書がよくなる」と言った友達がいた。「ナイシンショって?」何のことかわからなかったが、とにかく部活動をするといいらしい、と悟った私は、友人に誘われるままソフトボール部に入部してしまった。この部は新設された部のため、部員は一年生の私たちしかおらず、ほかの部のような厳しい上下関係もないという点がいいのだと友人は言った。小学校のとき多少ソフトボールの経験はあったが、試合で打席に立ちボールを打とうとしてバットを振ったら、そのバットが手からすっぽ抜け、キャッチャーの子を直撃してしまったことがあった。その子はかなり苦しんでいたが大事に至らず、問題にもならず安心した。打ち所が悪かったら大変なことになっていたと思う。このことが頭をよぎったが、もう後には引けなかった。すぐ部活をやめようものならその「ナイシンショ」に悪く影響してしまうと思ったからである。

グローブを買ってもらい、部活動が始まった。練習は放課後毎日、土曜の午後、日曜も練習があり、時には他校に練習試合にも行った。監督は数学のO先生である。みんなの守備位置は先生が決めてくれた。私はセンターだった。先生によると足が速いからだそうである。私は常にレギュラー選手ではあったが試合中の成績はあまりよくなかった。小学校から本格的にやってる子は全然レベルが違うのである。ばかばか打って、守備も確実だ。私は本番に弱いのか、いつも打撃は振るわず、しかも外野のくせにノーコントロールの傾向があった。「どこ投げてんだー!」といつも怒られていた。外野は長打で抜かれてしまうと、ボールをとりにいくのがたいへんなのである。スタジアムのように客席があれば跳ね返ってくるが、田舎の広ーい校庭だとどこまでも追っていかなければいけないのである。そんなパニック状態でなんとかボールを拾い、振り返って投げるととんでもない方に飛んで行ったりした。

中学の三年間、ピアノは二の次、三の次という状態であった。部活があるためレッスンは日曜の午後にしてもらった。K楽器のシステムなのか、4月になるといつの間にか先生が変わっていることがあった。せっかく慣れてもまた先生が変わる。その上私は未熟なソフトボール選手のため、つき指していることが多く、シップを貼った汚い指でピアノを弾いて叱られることもよくあり、思うような演奏もできなかった。泣きそうになりながら弾くこともあった。しかしピアノをやめることはなかった。やめようと考える余裕すらなかった。

部活の練習は厳しかったが、部員同士はとても仲がよかった。つらい練習なので仲良くないと乗り越えていけないのだ。ソフトボール部員の間でけんかするものもいなかった。練習のない日は部員で電車に乗って、「宇都宮」に遊びに行くのが楽しみだった。叱られても叱られても私たちは純粋に白球を追った。この時期培ったのは「根性」だった。

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向かって右から二番目に立っているのが私。笑っているが「レギュラーでなく補欠がいい」といつも思っていた。試合を見てるだけならストレスがないのだが・・・。選手は大変なのである。

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マンボNo5

私の母は、学生時代、英語が良くでき、文学にも造詣が深く、スポーツにおいてはバレーボール部で華々しく活躍する、文武両道のすばらしい女性だったらしい。本人がそう言うのだが本当のところはわからない。私が幼い頃を思い出すと、母はエプロンをしてキャッチボールをするような人であった。私と取っ組み合いのけんかをしたことも数知れず・・・。感情をぶつけ合う女性陣に対して父と弟は女性には決して逆らわず・・いや、女性を尊重するフェミニストであった。

そんな母は音楽も好きであった。映画音楽やラテンのレコードをたくさんではないが持っていて、(五木ひろしのものは多数あった)友達が遊びにくると、ステレオのある8畳間の和室(床の間あり)に私たちを招き、レコードをかけてくれた。子供の私たちに特に評判の良かった音楽はなんといっても「マンボNo5」である。「アーッツ!ウー!」というアレである。あれがかかると、私たちの血は騒ぎ、自然と体が動き、踊り狂ってしまうのであった。母はその間台所で平然と夕飯の支度をしていた。そして興奮が頂点に達すると、私はステレオのスピーカーの上に上り(昔のスピーカーは大きかった)そこから一回転して畳の上に着地するのが常であった。しかし現実には一回転したつもりでもできておらず、無様に転げ落ちているだけだったのだが、美しく回転できているという錯覚を起こさせてしまう魔力が、マンボNo5にはあった。いわゆるトランス状態だったのだろうか・・・。別の友人の絶頂時は辺りのものを投げる、というものであり、彼女の投げた積み木が私の鼻に当たり、流血、ということもあった。利香ちゃんの家に遊びに行ったまま帰ってこないわが子を迎えに来た友人の母は踊り狂う私たちを見て絶句したという。

現在はクールを装う私であるが、ラテン演奏時は、感情むき出しだったあの頃のようになり・・いや、なれないなぁ・・・。大人になった今は、あの純粋な気持ちを持ちつつ、内に秘めた情熱を表現したいと思うのだ。

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私のいとこ(母の姪)の結婚披露宴での母。(30代半ばか・・)後ろに見えるタイツをはいた二本の足は、私と弟のものである。寒い冬、母は私たちに強引にタイツをはかせた。

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4月5日(日)IPSスタジアム

      アーテイスティック・ジャズ・ワークショップ

        (カルテット)

        亀和田國彦(As)

        岩見達也(B)

        森内裕之(Ds)

私の家からインターパークは車で15分ほどと近いが、このIPSスタジアムには行ったことがなく、どのような施設なのかもわからなかった。依頼先に尋ねると「スポーツ関連のお店とジムなどがあります」とのこと。その旨メンバーに伝える。間違えて福田屋に行ってしまう不安があったのでくれぐれも行かないように念を押した。一番心配な岩見氏は以外にも、この場所は知っているので大丈夫だと言う。森内氏はどこなの?何のお店なの?とうるさい。私も行ったことがないので聞いたまましか言えず・・・。ところが一人感動に浸っているメンバーがいた。「ついに僕たちもスタジアム公演ができるバンドになったのか・・・。」亀和田氏である。「名前はスタジアムだけど、野球場みたいなものではないと思うんだけど・・・。」3×5メートル四方の小さなステージがあるらしいなどと説明する。なんとなく理解した亀和田氏の感動の涙は数秒で乾いたようだ。おじさんたちの引率は結構大変である。

当日は天候も良く、迷える者なく、30分ステージを二回無事終えた。以外にもじーっと聴いている(のか、「この人たちなにやってんのかなー」という感じでじっとわれわれを凝視している)子供が多い。なかに演奏に合わせて鈴を鳴らしながら見ている女の子がいて、ステージ終了後、岩見氏は彼女の紡ぎだすリズムに自分のベースを合わせてしまったなどと反省していた。

野外の演奏やイベントで演奏に集中するのにはわりと努力が要る。気をそらせるものに惑わされずに演奏できるといいのだが・・・。修行の日々は続く。

Dsc09952

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