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ピアノを始めた頃

  「いつからJAZZをやっているのですか」「JAZZをやるきっかけになったのはどんなことですか?」という質問をよく受けるのだが、残念ながらはっきりと答えられる出来事はない。いや、覚えていないだけなのだろうか。音楽はいつも身近にあったが、それで生計を立てることになるとは思っていなかった。○○音楽高校から○○音大に進み・・などという経歴もない。あっちへふらふらこっちへよたよたという感じでここまできた。5年前に音楽家として独立したが、それまで転職も何度もしている。仕事が変わって音楽ができなくなってもまた誰かが誘いに来て、やることになる。アメリカにまで行くことになったときは本当に自分が一番びっくりした。出会いの妙とはこういうことをいうのか・・・。

バークリー時代のことを書こうと思ったが、もっと前から書いてみようという気になった。すべてが幼少のときからの自分とつながっているからだ。無邪気な子供時代、部活に明け暮れた中学時代、ハードロックに命をかけた高校時代、苦労の多かった20代、なんとか抜けきった30代・・・。一回目の「リカちゃんハウス」は、子供時代の私についてである。

ピアノは6歳、小学一年生の秋ごろに自分からやりたいといって始めたと思う。当時私は約1000戸の家が立ち並ぶ新興住宅地に住んでおり、2歳のとき貸家からそこに越してきたらしい。まわりには同年代の子供がたくさんいた。時代は経済成長期、百科事典の営業が来て、誰か一人が買おうものなら、近所の家庭もみな買ってしまう。そういう時代だった。ピアノもいわずもがな。女の子のいる家庭には必ずあった。近所の保育園にK楽器から派遣された先生が来ており、私は毎週そこに通っていた。できの良い生徒であったか否かはわからない。あまり練習をした記憶はない。幼稚園時代から4年生くらいまでは内向的な性格が前面に出ていた思う。しかし5年生ときの運動会の50m走で、いままでほとんど最下位に近かったのだが、なぜか急に足が速くなり2位になったとき、性格が180度変わってしまった。この変化は今でもよく覚えている。内向的な性格からおてんば・・。などという生易しいものでなく、悪ガキになってしまった。外見的には性別不明。赤いランドセルを背負っているのでかろうじて女の子に見えたかもしれない。それとこの利香・・という名前が女の子っぽくていやだった。「なんでお前男なのに利香って言うんだよー」と男子から言われていた。毎日違う男の子と遊び(そういう意味ではない)、学校の後ろで、バッタを生き埋めにし、ストローで作った酸素吸入器で蘇生できるか試みたり、養蚕を営むS君からもらった真っ白な蚕に水玉模様や、虹色を施したり、図書室の本を全部引っ張り出してドミノのように並べてドミノ倒しをしたり、授業を忘れて遊んだ。音楽の授業も得意ではなかった。オルガンの上にのぼって、ピアノを弾いている先生に向かって「へたくそ!やめろー!」と言ったことがある。なかなか言えないセリフである。そしてできれば言われたくないセリフである・・・。音楽の高橋先生。ごめんなさい。

学校では元気に遊び、そして家に帰ってもまた遊び、とにかくいつも遊んでいたという記憶しかない。優しい父親と厳しい母親のもとで、弟や近所の友達と遊んだりけんかしたり・・・。天真爛漫に育ててもらったということに感謝したい。子供でなくなった今でも私には寂しいという感情がない。幼い時にそういう思いをしたことがないからだ。それがいいか悪いかはわからないが、そんな小学校時代だった。

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中央が小学校高学年時代の私。両隣の友人は女の子に人気のベルリラ、私は男子に人気の小太鼓の座を、熾烈なオーディションの結果GET。髪は常にショートカット。生意気そうだが、美しい足は今日と変わらず(?)。


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